コラム 外交・安全保障 2010.08.25
オバマ米大統領は軍縮に積極的な姿勢を示し世界に新風を吹き込んだが、何事もよい話ばかりではすまないのか。最近、NPT(核兵器不拡散条約)の信頼性を損なう事件が相次いで起こっている。
たとえば、中国のパキスタンに対する原子力協力である。何が問題か。
パキスタンはインドと競う形で1998年に核実験を行い核保有国へ仲間入りしたが、こ れは世界の核不拡散体制の信頼性を甚だしく損なう行為であった。パキスタンとインドは共にNPTに参加していないので国際条約違反ではなかったが、核兵器 の拡散を防止することは世界にとっての課題で、条約の締約国でないにしても両国とも国際社会の一員としてその課題に取り組む責任があり、核兵器を保有する ことは自由でないはずである。
NPTに縛られない国があるということは核不拡散体制の欠陥であり、国際社会にとって 頭痛の種になっている。各国は両国に対しNPTへ参加するよう何回も説得を試みてきたが、実現しないうちに、パキスタンとインドは核兵器を開発してしまっ た。この行為は核不拡散体制の欠陥を世界に向けて宣伝したようなものであった。
NPTは世界を、核を持てる国と持てない国に分ける不平等条約であり、その結果、核を 持たない国の安全保障は一方的に脅かされることになる。このようなことでは各国の協力を得ることは困難なので、NPTは核を持たない国が原子力の平和利用 の面で核保有国から協力を受けることを可能にした。軍事用のみならず平和目的でも核利用が進んでいる核兵器国からの協力は核兵器を持たない国にとっては意 味があり、一種の恩恵である。つまり、NPTは核不拡散に協力する非核保有国に核兵器を持たないという不平等な義務を飲ませる代わりに、核の平和利用の面 で恩恵を与えたのである。このことはNPTを成立させるのにどうしても必要であった妥協であり、オバマ大統領はこれを基本取引(basic bargain)と呼んでいる。これは大取引(grand bargain)と呼ばれることもある。
今回表明された、中国によるパキスタンへの原子力売却は、中国のパキスタンに対する原 子力協力であり、NPTに協力する国に対して与える平和利用に関する恩恵をNPTに協力しない国に対して与えるものであり、そうなれば基本取引の上に成立 しているNPTの仕組みは無視されることになる。このことにより、NPTは骨抜きになるとも言われている。このようなNPTの核保有国による非NPT国へ の協力は中国だけの行動でなく、一番最初にはじめた米国に続き、他の国でもはじめられている。米国に関しては相手がインドであり、中国の場合とは違うと主 張するかもしれないが、米国の原子力協力がパキスタンに広がるのは時間の問題ではないか。
米国に続いて、中国より先にフランス、ロシアなどもインドと原子力協力に合意してお り、日本も最近になってインドと交渉をはじめている。さらにパキスタンが中国に原子力協力を受けるようになりつつあるのを見ると、NPTの土台は虫に食わ れるようにボロボロになっていくのではないかと懸念されてならない。
一方、世界は今後環境対策と中国やインドのような巨大な国の急成長のために原子力発電 への需要が大幅に拡大すると予測されており、2050年には中国は770基、インドは270基の原子力発電が必要となるという推定もある。市場が現在の数 十倍の規模に膨れ上がるわけである。しかも、ダイナミックに変化しているパキスタンにしてもインドにしても国際社会の重要なパートナーであり、核兵器を開 発・保有したということだけでこれらの国との関係をすべて律するわけにいかないという事情もある。原子炉を売却するという商売上の観点だけからでなく、 もっと大きな観点から見てもパキスタンやインドとの関係を前向きに発展させていかなければならないのである。
そのようなことがあるだけにNPTへの悪影響がますます心配になり、NPTの効き目が なくなって世界が危険な核兵器競争になってしまうのだろうかという懸念もあるが、NPTは、じつは、核兵器を持たないと決心した国のクラブのようなものだ という達観した見方もある。もともと、パキスタン、インドはもとより、イスラエルもそうであるが、核兵器を将来持つかもしれないと考えていた国はNPTに 参加しなかった。後に参加した国が出てきたのは事情が変わって持たないと決意したからである。南アはその典型的な例で、ブラジルやアルゼンチンもそれに近 かった。逆に、北朝鮮はクラブに入っていたが後に脱退して核兵器を開発・保有してしまっている。
NPTにはクラブのような一面があるのは確かだろうが、それをさらにガタガタにするよ うな行為を許しておいてよいものか。NPTに参加しておきながら、脱退し核を開発・保有した北朝鮮は現在各国から総すかんを食っているが、数年持ちこたえ ればインドやパキスタンのようにおさまってくると考えているのだろうか。NPTは砂上の楼閣なのか。こうなると悪夢である。しかし、暑い夏が終わり涼しく なるともっとまともな夢が見られるのだろうか。