コラム  外交・安全保障  2010.04.22

タイの政情

 タイでは現在、タクシン元首相を支持する人たちがアピシット首相の政府に厳しい要求を突き付け、大規模なデモを展開している。数日前には治安部隊との衝突で死者が出、日本人カメラマンも犠牲になった。まことに痛ましい事態である。

 この人たちはみな赤シャツを着ているのでよく目立ち、欧米の新聞には「赤シャツ」をタクシン派の代名詞として使っているものがある。

 3年前、状況はまったく逆で、反タクシン派(黄シャツ)のデモが吹き荒れ空港まで占拠したことは記憶に新しい。

 タイではなぜこのように激しいデモが行われるのか。その原因と理由をこのコラムで説明 しようとするのではないが、キヤノングローバル戦略研究所で進めている「グローバリゼーションとNGO(その中の高橋華生子論文)」に関するプロジェクト はこのようなタイの状況を理解するのに役立つであろう。

 タイで民主化が始まったのは1992年であった。変化が起こると犠牲が出るのはめずら しくない。デモ隊と軍が衝突し多数の犠牲者が出た。「暗黒の5月事件」と呼ばれている。この事件をきっかけに政治制度の改革が始められ、1997年には憲 法改正が実現し、中央集権型から地方分権型への移行など行政の分権化が行われた。

 しかしながら政情は安定せず、上院の選挙が4回やりなおされることもあった。その中で 台頭したのがタクシンであり、タイ愛国党を率いて2001年に政権を獲得した。タクシンは経済面で業績をあげ、また、風俗営業の取り締まり、麻薬撲滅、医 療改革、一村一品運動などにも力を注いだが、自分自身やその一族の所得隠しなど腐敗が摘発されるに至り、結局、タクシンは国外へ逃れる羽目に陥ったが、そ の後も海外からタイの政治に影響力を行使しようとしたので強い反発を招くこととなった。

 危機感を抱いた軍は2006年、クーデタに踏み切り、憲法を停止して総選挙(2007 年)を行ったが、勝利したのは再びタクシン派であった。これに対し反タクシン派は強く反発して大規模なデモを展開し、空港を占拠するなどした。政治はさら に流動化し、2008年12月現首相のアピシットが反タクシン連立政権を組織して小康状態をとりもどしたが、今度はタクシン派が不満で、選挙をし直すべき だと要求している。これが現在の状況である。

 東南アジアではタイだけでなく、フィリピン、マレーシア、インドネシアなどでも相前後 して民主化が始まった。その中では、マルコス政権が崩壊したのが1986年であるからフィリピンが比較的早かったかもしれない。民主化が始まる以前の政治 はどの国も権威主義的であり、これは民主主義と全体主義の中間的形態である。開発が国家的課題なのでそちらには力を入れるが、市民的・政治的諸権利の保障 はないがしろにされる傾向があり、それが国民の不満を募らせる原因になっている。

 政治を中央集権型から地方分権型に改革したのは民主的な要求にこたえた結果であるが、 それは民主的勢力の要求がそれだけ強かったことを物語っており、NGOの政治的・社会的位置づけが向上したのもその一環であった。わが国でも、NGOの成 長は冷戦の終了以降顕著であるが、東南アジアにおいてはある意味でさらに進んでおり、政府がNGOを重要なパートナーとして位置づけている国もある。

 タイでは1997年の改正憲法がNGOの政治への直接参加を奨励する規定を設け、ま た、2001年にはタクシン首相の下で地方分権化計画を閣議決定した。このような市民社会の行政への参画は「下から」の要求と「上から」の働きかけが「随 時交差しながら発展してきた」(高橋)。ただし、NGOは政府に批判的な距離を保ちつつ、独立した主体として政府と協働する道を歩んでいるとも言われてい る。

 タクシン派であれ、反タクシン派であれ、デモが激しいことや、NGOの役割が大きく、 また、政府もその活動を積極的に奨励するようになっていることについて、それは民主化の現れと言うだけでは何か物足りない気がする。それはタイの歴史や伝 統とも結びついたタイらしさなのであろう。

 タイは王国、最近はさほどでもないがかつては国際的美人コンテストに毎年のごとく入賞 者を出していた国、タイ・ボクシングの盛んな国と多彩な顔を持っているが、さらに国民は民主的な政治を強く求めている。現在は民主化にともない苦痛を味 わっているかもしれないが、タイには我々の関心をひきつけるものが多々あり、タイの将来は明るいと信じる。

 タイのような民主化はフィリピンでも同様であるが、シンガポールとマレーシアはいまだ に権威主義的なシステムを維持している。したがって、国家とNGOの関係も異なっているが、権威主義的な政治の下にあってもNGOの活動はそれなりに活発 化しているようである。大きな傾向としては、東南アジアにおいても市民社会はしっかりとその存在意義を高めており、国家中心の「ガバメント」から国家と非 国家主体がともに役割を果たす「ガバナンス」への転換が進行しつつあるのであろう。