メディア掲載  財政・社会保障制度  2010.02.24

第二十二回・完 日本の経済政策の課題(その二)

「ゲーデルの貨幣」-自由と文明の未来- 危機編 『週刊金融財政事情』 2010年2月1日号に掲載
環境への財政支出が持続的な成長の原動力に
 金融政策や為替政策で大胆な円安誘導はできないとすれば、外需の急拡大によって景気を浮揚させることはむずかしい。当面の総需要を政策によって増やすには、財政政策が主力になることはやむをえないだろう。
 財政支出の使い道として、雇用対策や低所得者向けの福祉を充実して国民の安心感を高めることは重要である。低所得者は自分の将来所得を担保に借入れをすることができない(市場の不完備性)。そのため手もとの流動性(現金)が足りないと消費を減らさざるをえない。財政政策で低所得者に所得再配分を行うと、低所得者は流動性制約を緩和できるため、消費を増やすことができる。その結果、経済全体の総需要が増える。一時的な財政政策でも、需要刺激策としてきくわけである。
 また、財政支出の対象は、今後の長期的な経済構造変化の方向性と整合的なものを選ぶ必要がある。今後の経済発展の方向性を示すキーワードはやはり「環境」になるのではないだろうか。20世紀までの化石燃料依存型の産業構造から、脱化石燃料で二酸化炭素排出量の少ない産業構造に変化することが、経済活動に対する制約要因として要請されているからである。また、再生可能エネルギー中心の経済構造に日本と世界の経済を変えていくことは、長期的な日本の国益にも合致する。
 IEA(国際エネルギー機関)の世界エネルギー展望によれば、化石燃料の価格は長期的に上昇傾向が続く。石油依存の経済のままでは、石油が枯渇しなくても、将来的に日本は産油国に莫大な石油代金を支払わなければならなくなる。石油に依存しない産業構造を建設するための投資を行えば、その投資コストは国民の負担になるが、化石燃料の使用を減らせるので、石油代金などの外国への支払いは節約することができる。化石燃料に依存しない経済構造を作り上げることが、長期的に日本の産業界にとっても国民にとっても利益であることは間違いない。
 政策としては、政府が財政資金を大規模に投資して環境技術の研究開発と普及を促進し、化石燃料に依存しない新しい産業構造と社会構造への変化を促進することが必要だといえるだろう。また、新しいインフラ(燃料電池車や電気自動車に対応した交通システムなど)を整備するための公共事業も増えるだろう。その過程で、公的部門や環境関連産業に大きな雇用が生み出されることになり、需要と供給のギャップを埋める景気対策にもなるはずである。新しい産業は経済の持続的な成長の原動力にもなる。

国富の減価は経済構造が変化する局面で不可避か
 このような財政政策を考えた場合、問題は財源である。当面、政府がさらに債務を増やして財政支出をせざるをえない。その結果、将来的には非常に大きな増税(環境税や消費税、あるいは一回限りの資産課税)をせざるをえなくなり、もしそれができなければ、非常に高い率のインフレが発生し、政府の借金の実質額が下がることになる(インフレは経済学的には貨幣に対する課税であるから、これは事実上の増税と同じ)。
 こうした財政の調整は、古い産業構造から新しい経済に変化する際には避けられないことかもしれない。
 私たちの財産の本質は、もとをたどれば古い産業構造を前提にしてつくられた資本設備である。新しい産業構造に経済が変化すれば、古い資本設備は無価値になる。つまり、私たち現世代の財産の相当部分が無価値になってしまうはずである。その代わり、環境型の新しい産業が生まれ、そこから新しい富が生まれる。その新しい富の所有者は次世代の人々である。ちょうど近代になって、農業社会から産業社会に経済構造が変化したことを思い浮かべればよい。かつて「農地」は大きな資産価値をもっていたが、産業化とともに農地の重要性は低下し、貨幣で測った農地の価値も大きく低下した。その代わり、工場設備という新しい資産が生まれ、それらが大きな価値をもつようになった。いま、化石燃料に依存した20世紀型の産業社会から化石燃料に依存しない21世紀型の産業社会に変化するときにも、同じことが起こるはずである。
 しかし、家計や投資家は、20世紀型産業の古い資本設備を直接保有しているのではなく、銀行預金など金融資産の形で保有している。産業構造が変わって古い資本設備が急に無価値になっても、銀行預金の価値は自動的には減価されない。銀行の貸出資産(20世紀型の資本設備)の価値が下がっても、銀行預金は公的資金によって保護されることになるからである。家計などが保有する金融資産(古い資本設備をその裏付けとして形成された銀行預金がその大きな部分を占める)を産業構造の変化に合わせて減価させるには、大幅な資産課税かインフレで家計の保有資産を減らさざるをえないのかもしれない。逆に古い産業を裏付けに形成された金融資産をタイムリーに減価できなければ、裏付けをもたないマネーが市場を暴れまわるバブルとなるのかもしれない。
 現世代の財産が一時的な資産増税やインフレで大きく減価することは、生産性が低くなった古い産業によってできた国富(いまは過大評価されている)を本来的な価値まで減価させるプロセスとして避けられないとみるべきではないだろうか。ちなみに、農業社会から20世紀型の産業社会への変化に対応した国富の減価は、世界大戦による国富の消尽(各国の戦時中の大増税と戦後のインフレ)によって起こった、というのは言い過ぎだろうか。
 今後は戦争ではなく環境への大規模な投資によって、21世紀型の新しい産業構造に対応した金融資産の調整を実施する必要がある。そして、古い20世紀型産業によってできた巨大なマネーはなんらかの方法で減価させる必要があるのではないか。長期的な経済社会の変化と整合的な財政政策を構想することが求められている。それは一回限りの資産課税のようなドラスティックな手段をも含めて白地から考える必要があるのかもしれない。