貨幣消失の背景に「価格の硬直性」 価格の硬直性を土台にしたニュー・ケインジアンモデルは、金融危機の分析には無力だった。新古典派的なモデルはフリードマン・ルール(名目金利をゼロにする政策、すなわちゼロ金利政策)を常に最適な金融政策であるとするが、それは現実の金融政策実務からは遊離している。今回はこうした問題に関連して、信用と生産性の問題について覚え書き的に記述したい。
本連載の第10回(09年10月19日号)でも述べたが、09年9月に筆者がシカゴ大学のロバート・ルーカス教授と金融危機について議論した際、ルーカス教授は「08年の金融危機が実体経済に甚大な影響を及ぼしたのは、価格が下方硬直的であることが大きな要因なのではないかと思う」といった。新古典派マクロの中心人物がケインズ経済学的な「価格の硬直性」を重視しているのは意外な印象だったが、この発言の背景には、貨幣の中立性に対するルーカス教授の首尾一貫した強固な信念がある。「金融危機のために信用貨幣が消滅し、貨幣量がたとえば半分に減っても、物価水準が半分に下がれば、実体経済は何も変わらないはずだ。したがって、価格が非常に柔軟に変化する経済では、貨幣量の変化は、ほとんど実体経済に影響を与えない」というのが貨幣の中立性命題のロジックである。貨幣の中立性命題が正しいとすると、貨幣の消失が実体経済に影響を与えたのは価格が硬直的だったからだ、と考えざるをえないわけである。このロジックの前提として、信用貨幣と現金貨幣とはまったく同一の機能を果たしている、という認識があると思われる。はたしてこのような認識は正しいのだろうか。
確かに、現金も信用貨幣(銀行預金など)も、財の交換媒体としての機能を果たすという意味では同等の存在である。しかし、現金で交換される財(現金財)と、信用貨幣を介して交換される財(信用財)とでは、その性格に違いがあるのではないか。その違いは貨幣理論の世界ではほとんど考慮されていなかったように思われるのである。
単純化していえば、現金で取引される財は、顧客の来訪と同時に生産されるコモディティであり、顧客がきたら即時に財と現金の交換が行われる。一方、オーダーメイドの財を生産するためには、事前に顧客から注文を受けて生産をしなければならないので、必然的に信用取引が必要となる(生産者は顧客から支払いを受ける前に、原材料を買って財を生産しなければならない)。町の定食屋で出される現金払いの昼食は画一的な既製品であり、顧客の趣味や嗜好に合わせてとくに事前に準備したフルコースのフランス料理は信用取引される財といえる。
つまり、現金取引か、信用取引か、という取引形態の違いは、財の生産プロセスの選択肢を変化させ、生産性を変化させる可能性があるのである(現金と信用貨幣という貨幣形態の違いを、現金取引と信用取引という取引形態の違いと解釈することには、若干の論理の飛躍がある。しかし、致命的な問題ではないので、ここではそのように解釈して議論を進める)。このことは、貨幣理論では議論の対象になっていなかったが、現実の経済では非常に重要な問題であると思われる。
貨幣理論のモデルでは、すべての財がいわば既製品であると仮定されており、顧客がくれば、即時に財と貨幣の交換を行うことが可能であると考えられている。顧客による注文と最終的な財の受け渡しの間に長い時間差が存在するオーダーメイドという生産方式は、理論上、仮定によって排除されている。既製品しか存在しない経済では、取引形態が現金取引であっても信用取引であっても、財の生産性は同じである。
金融危機では信用喪失が経済を悪化させる
このような経済で、金融危機が発生したとしよう。本連載で論じてきたように、金融危機とは、バブル崩壊の結果、資産市場に大量の不良資産が発生し、情報の非対称性(レモン市場の問題)などによって信用の供与が困難になり、信用貨幣が消失している状況ということができる。信用財と現金財の生産性が同じなら、金融危機によって信用貨幣が消滅したとしても(それは信用取引の減少と表裏一体である)、財の生産性は変わらない。したがって、価格の硬直性がなければ実体経済は何の影響も受けない、という「貨幣の中立性」が結論として導かれる。そこから実体経済が悪化したのは価格の硬直性が関係している、というルーカス教授の見方が出てくるのである。
しかし、信用取引される財(信用財)が、現金取引される財(現金財)と異なり、顧客の注文に応じて長い時間をかけた生産工程でつくられ、生産性もより高いとすると、「貨幣の中立性」は成立しなくなる。金融危機で信用が減少すれば、信用財が生産できなくなり、現金財に代替される。信用財が現金財よりも生産性が高いなら、金融危機が起こると経済全体の生産性が下がることになる。そうなると、価格が硬直的ではなくても、実体経済は悪化すると思われる。価格が柔軟に変化しても信用財の生産は回復せず、現金財が増えることになるからである。
また、取引形態が財の生産性を変化させるという仮定が正しいとすると、金融危機への対策として、金融政策(貨幣供給の増加)だけでは不十分であることもわかる。金融危機で信用取引ができなければ、信用財の生産ができなくなっているので、経済の生産性は下がっている。これに対して、金融政策で現金の供給を増やしても、情報の非対称性などの問題は解決しないので、信用取引は回復せず、信用財の生産も回復しない。現金の供給量の増加は、生産性の低い現金財への需要を増やすだけである。したがって、金融危機に際して、現金貨幣を増加させても、経済全体の生産性を高めることができず、経済を正常な状態に戻すことはできないのである。
取引における信用の介在と財の生産プロセスとの関連については、今後、注意深く研究する必要があると思われる。