金融機関の健全化が生産性向上をもたらすクルーグマン氏の論旨は、次のように要約できる。金融システムが不健全になれば、企業の投資が減る。金融システムの健全化が景気回復の原動力だったなら、設備投資の増加によって景気が回復するはずである。しかし、日本の2000年代の景気回復では設備投資は増えず、輸出が増えて景気が回復している。したがって、日本の景気回復は金融システムの健全化によって引き起こされたものではない。
このクルーグマン氏の議論は、二つの意味で、現在の標準的な経済学がもつ問題点を示しているものといえる。
一つは、マクロの景気回復を考察する議論と、金融システムの健全化の議論が、基本的に別の問題として認識され、それら二つの議論に論理的なつながりを認めていない、という問題点である。ジャーナリストや評論家が感覚的に「どちらも重要だ」というのと同じ程度のことしかいえないのである。
もう一つは、こうした議論の分断が起こっている要因とも思われることだが、金融システムの機能として、資金の決済や支払いの仲介という機能が、マクロ経済学のなかであまり重要な論点として考慮されていない、ということである。クルーグマン氏は、交換の媒体としての決済機能を供給するシステムというよりも、(教科書的なマクロモデルと同じく)実物的な投資財を企業に供給するシステムとして、金融システムをイメージしているように思われる。このような描像が頭にあるからこそ、金融システムの機能不全は投資の縮小のみを引き起こす、という固定観念が形成されるのである。
しかし、金融システムが仲介する資金決済は、投資だけではなく、経済活動のさまざまな局面にかかわっており、とくに日常的には企業の運転資金の決済が金融システムの資金フローの大きな部分を占めるはずである。
最近の研究によれば、運転資金が(金融機関の不健全性や担保資産の価格崩壊などによって)制約されている場合、マクロデータでは生産性(全要素生産性、TFP)の低下として観察されることがわかっている。正確には、企業部門が、中間投入財の購入資金を借入れや企業間信用に依存しているときに、資金制約が厳しくなると、TFPが下がるようにみえるのである。
もしも不良債権問題などが企業の運転資金を制約していたとしたら、日本経済全体の生産性が低下(あるいは生産性の成長率が低下)していたようにみえたはずである。そして、金融システムが健全化すると、その効果は(運転資金の制約を緩めることにより)生産性の上昇として観測されることになる。そう考えると、金融システムの健全化が設備投資の増加として観測されるはずだ、というクルーグマン氏の前提は、成り立たなくなる。日本のマクロのデータをみると、バブル崩壊後の経済変動の最も大きな要因は、生産性(TFP)の変化であったことがわかっている。90年代以降の日本について、不況が長引いたのはTFPの成長率が鈍化したためであり、2000年代に不況から回復したのは、TFPの成長率が上昇したからである、といってもさほど間違いではない。
TFPの成長率がなぜ90年代に鈍化し、2000年代に上昇したのか、その原因ははっきりしないが、前述のように、金融システムの不健全性が企業の運転資金をおもに制約していたと考えれば、不良債権問題の深刻化による金融システム不安が生産性の変化を決定し、マクロの景気動向を決定していた、という仮説が成り立つわけである。そしてこの仮説は、日本のマクロデータ(景気回復期に設備投資が伸びなかったこと、また、景気動向がTFPの変化で支配されていたこと)と両立しており、クルーグマン氏がいうような簡単なロジックでは否定できないのである。
マクロ経済学が捨象する金融システムという存在
いずれにしても、クルーグマン氏の議論や、彼に代表される欧米の標準的な経済学の問題点は、マクロの景気回復の議論と、不良資産処理の問題(すなわち金融システム安定化の議論)とが、統一された枠組みのなかで論じられない状況になっているということである。その大きな要因は、現在のマクロ経済学が金融システムがもつ決済や支払いの仲介という機能を本質的な機能としては考慮していないことがあると思われる。
その結果、現在のマクロ経済学の基本構造のなかでは、金融システムはその存在すら省略されているのである。マクロ経済分析に携わった人ならだれでも知っていることだが(逆にいえば、マクロ経済学に親しんだことのない人には衝撃的なことと受け取られるだろうが)、標準的なマクロ経済モデルには、家計、企業、政府の三つの部門は登場するが、金融(銀行)部門は基本的な構成要素としては登場しない。家計は労働力と貯蓄を企業に提供し、企業から生産物を購入して消費を行う。企業は、家計からの労働力を使って生産を行い、家計からの貯蓄を使って投資を行う。金融部門は、家計の貯蓄を企業の投資につなぐパイプ(導管)の役割を果たす、というのがマクロ経済モデルの基本構造である。逆にいえば、金融システムはあくまでパイプにすぎず、主体的に経済の動向を左右する存在であるとは想定されていない。金融システムで何か問題が起こるとしたら、それはパイプの詰まりによって、資金の流れが滞り、企業の投資が減ることぐらいである。また、金融システムというパイプを流れる資金とは、交換の媒体(支払手段)として機能する「貨幣」というよりも、たんに資本設備を形成する材料、すなわち「投資財」としてイメージされている。こうみると、冒頭に述べたクルーグマン氏の議論はこうしたマクロ経済モデルの基本に忠実な考え方であることがわかる。
だが、グローバルな金融危機という現実の前では、その基本構造に大きな問題がある、と考えなければならないのである。