コラム 外交・安全保障 2009.08.03
さる5月25日、北朝鮮が再び核実験を行ったので国連安保理はこれを非難し、新たな制裁を課す決 議1874を採択した。2006年の第1回核実験のときも安保理は制裁を課し、各種兵器および核兵器やミサイルの開発に資する資機材・技術の北朝鮮への輸 出を禁止するなどしたが、今回はそれをさらに強化して、北朝鮮の港に出入りする船舶が疑わしければそのような問題の物資が積載されているか否かを調査し、 禁輸物資であることが確認されれば没収することなども決めた。今回の決議の特色は、領海内であればもちろん、本来どの国の船舶も自由に航行できる公海上で あってもそのような措置をとることとした点にある。つまり、北朝鮮の港に出入りする疑わしい船は世界のどこにいても調べあげることとしたわけだ。
この制裁措置は本当に効果があるのだろうか。常識的にはもちろんあるだろうが、どの程 度効き目があるかを正確に測定する基準はない。北朝鮮関係に限らず、安保理が制裁措置を決定することはほかにも多々あるが、効果を測るのはどの場合も容易 でない。たとえば、それまで供与していた援助を停止すれば相手国政府の収入がそれだけ減るので、そのことは数字で表すことができるだろう。特恵関税を与え ないこととした場合も同様に効果は数量的に示しやすい。特恵関税とは開発途上国からの輸入を促進するためにとくに低くした関税のことである。今までこの措 置を認めていたのにそれを中止した場合、中止後の輸入量の変化となって表れるだろうからである。
しかし、相手国政府の収入を減らすことだけが制裁の目的でなく、その先どういう影響 (効果)が出るかも分析していかなければならない。経済的な効果を測定するだけでも貿易依存度、経済規模、貿易パターン、外貨準備高、経済体制などを総合 的に勘案する必要がある。言うまでもないが、これは緊急特別経済対策の効果を測るのと同じくらい複雑で困難な作業であり、答えをそう明快に示せなくても驚 くにあたらない。
しかも、制裁措置の目的は経済的なことでない場合が多い。EUがミャンマーに対して与 えていた特恵関税を停止したのは、軍事政権が選挙の結果を無視し、アウン・サン・スー・チー女史を軟禁していることをやめさせようとしたからであった。今 回の対北朝鮮制裁措置の場合も、経済的効果を狙っているのでないことは明らかであろう。制裁措置に効果があったか否かはその措置の目的が達成されたかどう かで測るべきであろう。おそらく一般論的としては、このことに異論はないと思われる。
ところが、この基準をまじめに適用すると、効果があったと胸を張れる場合は残念ながら 極めて少ない。EUが狙った軍事政権に考え直させることは実現しておらず、アウン・サン・スー・チー女史は依然として軟禁状態にある。1998年にインド とパキスタンが核実験を行った後安保理が採択した制裁決議に基づき、日本は円借款の停止などの措置を取った。制裁の目的は当然のことながら核開発をやめさ せることであったが、悔しいことにこの目的も達成されていない。
じつは目的の設定にも問題があり、たとえば、北朝鮮に対する今次安保理決議は北朝鮮の 核開発を止めさせることも、大量破壊兵器関連物資の輸送を止めることも目的としているが、どちらの目的に照らして測定するかによって効果は違ってくる。制 裁の効果は、それぞれの目的に照らして効果があったかどうか測ることが必要であるが、そもそも目的は何であったかも問題になるのである。
紙面の関係で効果に関連するすべての重要問題を論じることはできないが、目的のほか、時間の要因も重要であり、なかなか効果が現れなかった措置でも時間がたてば違ってくるのはよくあることである。
細かく分析しても客観的な測定は困難であり、要は相手国が困るかどうかということだと いう説もあるかもしれない。しかし、北朝鮮のように特殊な閉鎖体制の場合はこれがまたよく分らない。本当かどうか知らないが、北朝鮮では「人が飢えても国 家は消滅しないが、軍事をおろそかにすれば国が滅びる危険がある」というような考えがあるそうだ。ほんとうにそういうことであれば、北朝鮮においては他の 国とおよそ異なる基準があると考えざるをえない。外部であれこれ考えても、困っているかどうかなど測定不可能ではないかという気もする。
困るかどうかは内面的なことなので分かりにくい。きわめて非科学的なようだが、相手が 怒れば怒るほど効き目がある、という乱暴な定性的見方はどうであろうか。これなら外から分かりそうだ。今回の制裁措置に対し北朝鮮は激しく反応し、核兵器 の開発は続行する、六者協議には永遠に戻らないなどと吼えており、これを聞くと今回の制裁措置は効き目があったのかなー、という気もするが、ここはしか し、冷静に制裁措置の目的に戻り、残念ながらそれはまだ達成されていないと言わなければならないであろう。もちろん、これは最終結論ではなく、さらに時間 をかけて効果を測定していくのであるが。