コラム  2019.11.05

IT列車からの途中下車

岡本 行夫

 美空ひばりが新曲を歌ったNHK番組を見た。1年間かかってプログラマーがAIにひばりの歌い方を教え込んだもので、出来映えは完璧だった。ひばりをよく知る多くの人々が、これを聞いて泣いていた。ついにAIが人々を感動させるところまで来たのか?

 そうではない。新曲を書いたのは人間だし、ひばりの声を徹底的に解析しAIを使って再現したのも人間である。何十年経っても、AIはベートーヴェンを超えることはできない。神が人間にだけ与えた感性と美意識をAIが持つのは、神と並ぶということだ。

 ITの進歩は凄まじい。大学時代に「電子計算機概論」の授業で、プログラムを書かされた。だが自分の答案が正しいかを大学の馬鹿デカい電子計算機で検証できるのは、半年に一回。順番が来てようやくインプットしてみれば1秒で「Invalid Statement」と表示されてオシマイ。

 その30年後にPCを買った。記憶媒体は1.4メガバイトのフロッピーディスク(FD)。1枚1枚、大切に保管した。ところが、いま僕が持ち歩いている外付け記憶ディスクの容量は2テラバイト。実に145万枚のFDに相当する。FDの厚さは3ミリだったから、積み重ねれば4350メートル。富士山より高い。それが僕のポケットに入っている。このスピード進歩に対応しなければならない強迫観念にとりつかれた僕は、これまで次々にPCを買換え、現在16台目。

 だが、もう疲れた。体力の問題もあるが、マニアックな性能が満載されたIT機器は使いづらい。だからOSはわざわざダウングレードして使っている。スマホは持たず、もっぱらガラ携だけ。自動車もオートマは止めて、マニュアルを楽しく運転している。カーナビは避けて、地図を見る。趣味の海中写真は、28年前に製造されたフィルムカメラで撮っている。ハイパーテクノロジーの時代は、もう、いい。

 所詮、コンピューターは「計算機」だ。できるのは演算と記憶だけ。「創造」はできない。僕の単純な理解では、人間の脳は1千億個(!)の神経細胞が1秒200回のパルスを飛ばす。つまり1秒間に20兆のパルス信号が他の神経細胞に飛んでいる。そのうちの極々々わずかのパルスの連結が「意味」を作りだし、新しいアイディアが創造される。仮にAIが途方もない電力を使ってこれを可能にしたところで、「意味」を評価する感性がない限りロクなものは作り出せないし、ましてや感動を呼ぶ芸術など作れない。シンギュラリティ(AIが人間を超える日)など来るもんか。 

 と、勇ましいことを言いながら、僕もPCと離れては生きていけない。リュックサックに重いPCとルーターを入れて歩いている。腰を痛めるが、もう新しい技術は追わないと決めた。高速のIT列車から途中下車して、野原に寝っころがって、ゆったり流れる雲を眺める。自然は人間のバイオリズムに合ったアナログの世界だ。彼方に走り去る列車の音を聞きながら、幸せに浸る。 


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