コラム  2025.07.07

財産税

福井 俊彦

先般発表されたIMFFiscal Monitorによれば、我が国の公的債務残高の対GDP比率は230%台と諸外国に較べ飛抜けて高い水準で推移している。政府はかねてより一貫してprimary balanceの改善に努力して来ているが、これだけでは容易に財政健全化への道は拓けて来ないのが実態である。

思い起こせば終戦直後のこと。銀行券預入令・預金封鎖・財産税徴収によって国民の貯蓄を吸い上げ、戦時国債の後始末を一挙に進めた。我が家も大阪の実家が戦災で丸焼けになった上、財産税で残りの貯蓄も吸い上げられ無一文で再スタートするのを余儀なくされた。

今から振り返れば、戦後の処理は「あれはあれで良かった」と思われる。無一文になったとしても多くの国民の目には次に為すべき事が明確に見えていた。先ずは戦後復興に全力を挙げること。これには約10年の歳月を要したが、19567月の経済白書で「最早戦後でない」と明記されるに到った。次に為すべき事は欧米先進諸国に早く追い着くこと。政府も高度成長政策を掲げて国民の努力を促した。この目標が達成されたのは、Ezra Vogelが「Japan as Number One」を著した1970年代終わりから1980年代前半にかけてであった。

問題はその先で、先頭集団に入った我が国は自ら新しい進路を切り拓く術を身に着けぬまま長期停滞の罠に陥り、今日まで来ている。私は、学生時代マラソンや駅伝競走に参加した経験を持っているが、先を走るrunnerの背を追いながら走るのは頑張れば何とかなるものの、いざ先頭に立つと独自の新しい走法を身に着けていないと先頭を保ち続けることは容易でないことを身に浸みて覚えている。

財政が不健全な一方で、企業部門の内部蓄積や家計部門の貯蓄残高は意外に大きい事実に着目し、いざとなれば財産税をもう一度発動する余地もあろう、との声も時折聞こえて来ることがある。果たしてこれが正しいかどうか。終戦直後とは異なり、今無一文になって次に為すべきことが目に映っている人はそれ程多くないのではないか、と心配される。

企業部門においては、今こそ発想の新しい人材を活用してcutting edgeinnovationに乗り出し、内部蓄積を先ずそのための投資に振り向ける。既存の企業の外においても若者が新規事業をstart upするのを支援する社会的雰囲気を一段と強く醸し出し、家計貯蓄の一部をrisk money に振り向ける仕組みを仕立て上げる。戦後教育で「良い学校を出て安定した大企業に就職しなさい」と教え込まれた若者に期待するのは無理だと思われる方も多いが、私は「自らの道は自ら拓く」と高い志を抱く若者も決して少なくないと観察している。

これらと併行して例え政権交代があっても断固揺るがない財政健全化長期計画を与野党共同で新たに樹立することが本筋ではないか。


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