コラム  2024.07.08

音楽の空洞化

福井 俊彦

私は、子供の頃から字を書くのも絵を描くのも歌を唄うのも苦手だった。それでも書道、絵画、コーラスとも大好きで稽古に励んでいた。高校生の時コーラスでNHKの放送に出演することとなったが、本番直前になって音楽の先生から「福井君、今日は頑張ってらっしゃい。ただし、大きく口だけ開いて声は出さないようにね」と諭されたのを今でも明確に覚えている。

これに懲りず、その後もコーラスは続けた。下手でも歌っていると心の奥底に流れている大切なものに触れることが出来ると感じていたからだと思う。

ところが最近は、NHKの「のど自慢」にしても年末の紅白歌合戦にしても、演奏される音楽からそういう奥深さが感じられなくなったような気がする。リズムは激しいが、肝心のメロデイーと詩が薄れてしまったからではないか。私は、クラシックの音楽会にもかなり頻繁に通っているが、聴衆は殆どが老人で若い人は非常に少なくなってしまった。

では海外はどうか。やはり最近は新しいシャンソンやカンツオーネが生まれたという話は伝わって来ない。クラシック音楽にしても新しい作品に接する機会が非常に少なくなった。

このような変化はどうして起こったか。以前は人々が現状に満足せず、それぞれに将来への大きな夢を抱いていた。その夢を実現するためにどうすれば良いか、考え込んでいた。努力しても容易に夢が実現せず、悩んでいた。それぞれ抱く夢は異なっていても人々は互いに同情し、助け合っていた。ところが、世の中が豊かになるにつれ人々は将来の夢よりも短期的な利益の追求を優先するようになった。それだけ心の底が浅くなったということではないか。

更により大きな要因として、digital革命の急速な進展によりdataの蒐集や分析が極めて容易となり、人々はあまり深く物事を考えたり悩んだりしなくとも、当面の歩みを容易に進めることが出来るようになった。これが人々の心の底を一層浅くしていることは間違いないと指摘する声を良く耳にするようになった。

私は、大学においては法学部で学んだが、法解釈学よりも法哲学、法社会学に重点を置いて勉強した。人間の本質は何か、人間が形成する社会の本質は何か。将来あるべき人間と社会の姿は如何なるものか、という点に関心を惹かれていたからだ。

今、世界は改めて大きな転換期に差し掛かっている。こういう時こそ人々が将来への夢を大きく描き直し、現実の姿と先行きへの道筋について奥深く思考を凝らし、人々の間で互いに共鳴し合うものを見出すことが肝要ではあるまいか。


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