コラム  2022.01.07

改めて人間社会の本質を探る

福井 俊彦

1980年代以降コロナ発生直前までの状況を振返ってみると、経済のグローバル化・IT革命が急進展する下でヒト、モノ、カネ、情報が国境や地域の壁を乗り越えて自由に流れるようになり、世界の人々はその利を活かして繁栄を謳歌して来た。先端を切り拓く力の持ち主の頭の中ではnation stateから脱皮するという意識すら芽生えていたかもしれない。

ところがコロナの急襲で舞台は一転した。ヒトは国境を越えて旅するどころか国内ですら自由に動けない。モノの流れも急速に鈍り、精緻に構築されたsupply chainは乱れに乱れた。カネも必要な所へは届き難くなり、いずれの国に於いても金融緩和が加速された上、過剰と思える程の公的資金投入により財政の不健全化が急速に進んでいる。情報だけはon lineをベースに円滑に流れており、これこそ次の時代に繋がる新しい息吹とさえ感じられる。ただその反面、人々の間で心と心の交流がかなり希薄化しているように思えてならない。

ではコロナ後はどうなるか。ヒトの交流が急速に復活することは間違いあるまい。ただ、長い間の疎遠のつけで少なくともしばらくの間は誤解を生み易い環境が訪れるかもしれない。モノの面でもsupply chainは基本的には復活すると考えられるが、ここには以前から持ち越して来た宿題が待ち受けている。即ち、民主主義国家と権威主義国家(とくにLipset命題に反し経済が発展しても民主化しない中国)との間で経済網の構築に当たっては互いに高度に政治的な工夫を織り込む必要があるのではないか、という難問である。

ところが経済のグローバル化・IT革命進展の流れの中で、程度の差はあれいずれの国においても所得格差拡大・社会の分断といった現象が見られ、ひいてはポピュリズムの浸透に冒されて政治が劣化している。カネの面では、先ず正常状態への移行期間における各国金融政策運営の難しさを挙げることが出来よう。各国それぞれの経済の実情に即した的確な判断が重要であると同時に、各国間の足並みの揃いという面からマーケットに隙を狙われることのないよう周到に意を用いることも欠かせない。加えて、財政再建を如何にして果たすか。第二次世界大戦終結直後に採られたような荒療治ではなく、各国および世界の実情に照らしてcredibleと認められる長期の財政再建計画を揺ぎ無く確立して行かなければならない。

最後に情報だが、digital化が更に急速に進み、dataの蒐集・分析・活用の面で人々の活動に利便性が一層加速度的に増して行くことは間違いないと思われる。それ自体歓迎すべき事柄であることは否定し難いが、余りにもそれに依存し過ぎて「五里霧中の中で物事を深く掘り下げて考える」という人類本来の姿勢が失われる心配はないか。挙句の果ては、哲学や文化が底の浅いものに堕落し、人間社会の本質にかかわるものが希薄化することにならないか、ロダンの彫刻「考える人」が何時の間にか「スマフォを弄る人」になってしまわないか、非常に心配である。


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