コラム  2021.07.06

Wait and Seeにはもう厭きた

福井 俊彦

昨年から持ち越されたコロナとの闘いが延々と続いている。相手は変異を遂げながら益々強敵となって来ているように窺われる。しかし、引き籠り作戦で只管wait and seeを続ける生活にはもう厭きた。そろそろ皆でpost-Coronaをどう生きるか、真剣に考え始めようではないか。今回ばかりは、「コロナさへ終われば全て元に戻って幸せ」とは言えない難しさが予見されるので、今からでも決して早過ぎることはない。

既にコロナ前の段階で、①製造業を中心とする産業資本主義は多くの国で成熟段階に達していた。その先を切り拓くためにdigital化を軸とする新産業革命を更に加速させて行くのが大きな趨勢と目されるが、果たしてそれのみで良いのか。通信技術やData分析手法の向上に止まらず、やはり世の真底に潜む正義の考究、文化的価値の研磨など、より奥深く幅広いものを追求しないと人々は真の幸せには到達しないのではないか。加えて、所得格差拡大に伴う社会の分断にどう立ち向かうか、コロナ対策で急速に悪化した国家財政を如何にして再建するか、という各国共通の重い課題も待ち受けている。②米中の二極対立も更に深まる方向にある。これも、かつての米ソ冷戦とは異なる構造を備えている。民主主義国家と覇権主義国家との間で外交・安全保障上の対立が厳しくなる反面、経済のグローバル化の進展に伴ってsupply chainは相互に国境を越えて濃密に形成され続けている。一方で距離を保ちつつ、その一方でより濃密に絡んで行く。この間の均衡点を如何にして動態的に保って行くか、絶えず知恵を絞って複雑な方程式を解き続けなければならない。

日本としては、困難な局面に遭遇すればする程、先ずは世界各国の動きを慎重に見極め、漸次自らの進路を見出して行く。これが従来の基本姿勢であった。日本は島国で、外からは攻められ難い好条件に恵まれていた所為か、「急がば回れ」が身に着いてしまったと言うことであろうか。子供の頃から「出しゃばるな」、「出る杭は打たれる」、「人の振り見て我が振り直せ」という台詞をしばしば耳にした覚えがある。長じて新聞を読むようになってからも、特に日本の対外政策については「対応方針」という表現が「基本戦略」という表現よりも圧倒的に多いのに気が付いた。

しかし、これからは「対応」がkey wordであってはなるまい。今、世界の国々を見渡しても、populism浸透が為せる技か、国家や世界の将来の構図を大きく描くというレベルでお手本となるようなleadershipを示す主体は少なくなりつつある。対応しようと思っても対応しようもないのが実態ではないか。今こそ日本が自ら殻を破って外に向かって新しい切り口を示して行くこととしても、出る杭として打たれる心配は無いのではないか。

日本は今、ワクチン開発の面でも他国に比し著しく遅れを取っている。これも、「リスクを取って人々の為に新しい道を切り拓く」方向に率先して踏み出すことは控えるという我々のこれまでの行動パターンの帰結である。今後、こういうことが再度あってはならない。


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