コラム  2021.01.07

リモートワークの時代

福井 俊彦

コロナとの闘いに明け暮れた一年が過ぎ、新年を迎えた。この苦しみから何時抜け出せるかは未だ分からないが、after coronaの段階に於いては、「リモートワークの時代」という呼び掛けが代表するように、人々の生き様は一変するだろう、仕事に限らず人々のあらゆる活動がon line baseで進化するだろうと言われている。

18世紀半ばの産業革命に端を発したこれまでの資本主義が成熟段階に到達した今、digital化については、未来を切り拓く新しい潮流として人々が今後一層前向きに取り組むべき道筋であることに疑問の余地はないが、果たしてそれが全てであろうか。

web会議にしても、旧来の仲間同士であれば難なく議論が進むし、時間的・場所的に却って便利な面もあるが、この会議に新しい出席者が一人でも加わると、本当に気持ちが通じ合ったのか不安になる。友の輪が拡がったという実感もなかなか湧いて来ない。完全自動運転の車に乗って人々は本当に人生の幸せを感じるだろうか。人間国宝の故坂田藤十郎演ずる「曽根崎心中」(近松門左衛門)のお初にしても、あの魂を揺さぶるような響きがon lineでも伝わって来るか。東京での藤十郎襲名披露に際し、日本橋川から日銀旧館前へ船乗り込みされたのをお手伝いした私には、疑問としか思えない。野球観戦にしても、on lineでは味方teamのだらしなさに対し「安呆垂れ!」と怒鳴る気になれない。中学生の頃、夏休みの宿題を後回しにして全国高校野球選手権大会の(1回戦から決勝戦まで)全試合を観るため球場へ通い詰めたり、タイガース子供の会の一員として幾度か甲子園球場で実戦をした経験を持つ私には野球魂とon lineとの間には距離感があり過ぎる。

AIroboticsにしても、data処理能力や作動水準の高さのお蔭で様々な仕事がより速くより正確に進むことは間違いないが、この結果人々がそれに頼り過ぎて課題の本質に遡って深くものを考えたり悩んだりすることが乏しくなるのではないか。オーギュスト ロダンの「考える人」を鑑賞しても、これでこそ人類は猿から進化したのだと納得しなくなるのではないか。

やはり、人は人らしく常に新しい夢を胸に抱きつつ深く思索し、悩みをぶつけ合って共感を呼び起こし、情熱を込めて様々な波動を引き起こす。このようにしてdigital化の流れに豊かな詩とメロデイーを添えて行って欲しい。

そういう目で周囲を見渡すと、必ずしも悲観的な光景ばかりではない。とくに若い人々の間に於いて、広く世界に友を求め、夢を共有し、その実現のためにより幅広いinnovationを起こして行く、単なるsupply-chainの域を超えてvalue-chainを築いて行く、そう感じ取れる動きが徐々に芽生えて来ているように感じられる。そこに期待を繋ぎたい。


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