コラム  2020.07.03

Covid-19

福井 俊彦

 世界中の人々が、今なお苦闘を続けている。新型コロナウイルスに挑まれた「戦争」に立ち向かっている姿である。敵はかつてない強力な伝染力を持っているのに対し、こちらは決め手となるvaccine をまだ手にするに到っていないので、こうした経過を辿ること自体は不可避である。

 では、先行きコロナ戦争終結の日を迎えた時はどうなるか。普通の戦争のように、戦勝国と敗戦国との間で講和条約が締結され、戦勝国の中から次の世界秩序形成の先頭に立つリーダーが出て来て各国の行動体系が決まるという姿にはならない。全ての国が戦勝国なのに、戦争が終わってみるといずれの国においても経済と社会がかなり壊滅的な打撃を被っており、あたかも全ての国が敗戦国であるが如き状況から再出発することとなる可能性が透けて見える。世界中の疑似敗戦国が、協力して新しい国民国家の構築と新しい世界秩序の形成に勤しむ以外に道はない。

 この場合、コロナ以前に世界の人々が揃って邁進して来た経済のglobalization やIT 革命の飛躍的進展といった路線は一体どうなるのか。私は、歴史の趨勢から見て、この二つの路線は基本的には踏襲されて行くものと思う。

 ただ先行きは、コロナ以前の段階で既に相当顕著になって来ていたこれら二つの路線の持つ負の側面にも光が当てられ、人々が叡智を投じていくこととなるのではないか。一つは、この路線がもたらしてきた所得の著しい不均衡に鑑み、公正を旨とした分配論が世の中を律するようになるのではないか。もう一つは、技術進歩に伴い益々スピードを増す情報処理(ウサギさん)と人々の将来への夢や悩みに根差す深い思索、哲学、あるいは文化的発想(カメさん)とのギャップをいつまでも放擲(ほうてき)出来ず、便利さだけでなく人間らしさを取り戻そうとする動きが次第に明確に表に出て来るのではないか。

 これを要するに、一段と格調の高い「開かれた国民国家」ということになろう。

 その上で、新しい世界秩序の形成だが、全ての国が敗戦国という謙虚な心を持ち寄ってこれまでの戦勝国リード型の仕組みに新風を吹き込んで行けるかどうか、重要な分岐点を迎えることとなろう。

 日本はこれまで、政治、経済、文化、スポーツその他あらゆる分野で新しい国際ルールを自ら積極的に提案するという点では、極めて控え目な国であった。国際ルールは外で決められたものを貰って来る、これがあたかも常識のようになっていた。これからは全ての国が疑似敗戦国で横一線なのだとすれば、ここで日本が突如「もの申す国」に変身しても決して可笑しくない。

 最後に、コロナ戦後処理として全ての国が負担するもう一つの大きな課題が、財政再建であることは申すまでもない。最も荷の重い日本がこの点でも長期的に見てcredible と目されるプランを早く確立する必要がある。


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