コラム 2020.01.08
令和の御代も早や二年目。今、世界を見渡して目に映るのは、一つは、失業率が低水準となっても物価の上がり難い経済。もう一つは、安全保障の要を担う力の緩み。
私にとってオペラの第一幕は「昭和」。第一場の「戦争」を経て、第二場の「平和と繁栄」へと展開した。少年時代は戦争の最中で、無邪気にも水兵になろうと志し、遠くまで泳ぐ、船に酔わない、その為の特訓を受けていた。第二次大戦後の世界の構図としては、米国の強いリーダーシップが大きな背景 (PAX AMERICANA)。中国の存在はまだ強くは意識されていなかった。平和が続き、いつしか米ソ冷戦も終了した。経済発展も目覚ましかった。日本も、復興・高度成長の過程を経て "Japan as Number One"と目されるところまで来た。
ただ人の世は、何時までも一筋道を辿る程甘くない。1980年代央以降経済のグローバル化(アヘン戦争以降130年以上歴史の舞台の袖に隠れていた中国の再登場を含む)、情報通信革命と、新しい潮流が怒涛の如く押し寄せて来た。
そこで舞台は第二幕「平成」に移るが、新しい潮流に乗って更に飛躍かと思われた矢先、経済の先行きに人々が希望ばかり抱く訳には行かなくなった。グローバル化・情報通信革命によって大きくなったマーケットを活用して世界経済はより素直に発展する面を見せつつも、同時に、所得不均衡の著しい拡大、産業資本主義の成熟化といった難題に逢着している。ただ、先行きへの希望の星としてdigital化を含む新産業革命の胎動が感じられる訳だが、これとて真に人々の新しい夢の実現となって花開くかどうか、未知数である。
平和維持についても新しい懸念が生じている。行方知れぬ米中覇権争いのみならず、世界の何処においても所得不均衡をベースにした社会の不安定化、更には宗教・民族対立再燃、テロリズム頻発、難民の洪水。
日本もバブル崩壊とその後始末に追われた後、経済の面でも、安全保障の面でも新しい道への模索に苦しみ続けている。かくて第二幕は、戸惑いと模索のうちに終わった。
そこで第三幕の「令和」だが、期待を込めて「新世界への旅立ち」という標題を付けよう。
序奏において、人々が心の底に秘めている新しい夢は何か、問いかけから始まる。そして夢の実現に向けて活動する配役は、machine learningの担い手、その先をdeep thinkingする男女、開かれた国民国家、そしてcyber-attacksをも巧みに統御する新世界平和機構。主役は、あくまでdeep thinkingする男女でなければならない。AIやroboticsに任せるばかりで人々が自身で考え、悩むということでなければ、未来に向けて道は拓けないし、文化も枯渇してしまう。シャンソンやカンツォーネや演歌が消え、新しい流行歌からはリズムこそ強いがメロディーや詩が伝わって来なくなった今、厳しい予兆を感じざるを得ない。