メディア掲載 2019.02.28
戦後復興、高度成長の時期を経て平成の時代を迎えました。戦後成功物語の頂点は1980年代半ばごろでしょう。日本の産業界が「もはや世界に学ぶものなし」と言い始めたのがこのころです。
その後、日本は世界の先頭で新しい道を切り開くプレーヤーの一人として歩むべき時代に入りました。自ら経済・社会のモデルチェンジを施しながら前進する。それが容易にできず今日に至るまでその苦しみを味わい続けています。
80年代半ば以降は、世界全体としても大きな潮流変化の時代を迎えました。グローバル化と情報通信革命の急速な進展です。各国ともそれにふさわしい体制を整えるのに手間取るなかで、85年には(日米欧がドル高是正で政策協調する)プラザ合意という形で一息入れようとしました。その前から変動相場制に移り、為替相場は市場で決まることになっているのに、あえて皆で話し合って相場を変えようとしたのです。
それはそれで各国に異なる影響をはね返すことになりましたが、日本としては人為的な円高の負担を多少とも軽くするために、経済に優しい政策環境を醸し出しました。これが旧モデルのまま経済をふかす結果となったため、予期せざる方向に刺激効果が出ました。それがバブルです。
平成時代の金融政策から得られた教訓は、金融政策の役割は、人々の価値創造への努力や、傷ついた企業・金融機関が次の段階にいく過程を背後から支援する縁の下の力持ちであるということです。問題のすべてを解決できるわけではありません。平時は金利機能を生かし、異常時は金利機能をあえて封殺し流動性を豊富に供給して支える。だが、過剰な介入はかえって将来に禍根を残します。財政との関係でもそうです。
日本では、他国のように所得の不均衡が際立つところまでは来ていません。一方で、年金や医療保険などをみると、高齢者と次代を担う若者との間で受益と負担の関係がゆがんできています。そして財政赤字の中身をみると、最大の要因は、社会保障費の増加です。世代間の受益と負担の公平性をどう再構築するか、これ抜きに堅固な財政再建計画はできません。
社会保障制度を設計した当初、前提として将来の人口構成をどう推計したかというデータを公表すべきです。そうすると、現実の人口減少、少子高齢化の進展と比べてどれだけずれが生じているかが一目瞭然となります。いかにこれを長持ちする制度に衣替えするか、数字を頭に置いて皆で議論する。データに基づく冷静な議論ができれば、他の問題にも応用ができるようになります。
平成の次の世代への期待は、「社会に出る」という意識を皆が明確にもってほしいということです。生涯通じて世の中でどんな役割を果たすのか。親も教師も社会も、子どもたちに自ら探すよう呼びかけていかなければなりません。
かつては高校、大学進学の際は、何のために行くのかと真剣に考えたものです。それが高度成長期のころから良い学校に行き大企業に入ること自体が目標になってしまいました。「社会に出る」が、いつの間にか「会社に入る」になってしまいました。
最近は一流の大学を卒業しても企業に就職せず起業する若い人が増えています。希望の持てる動きですが、日本の次の成功物語を創るにはまだスケールが小さい。世界へ向け飛躍する、最初から大きな発想を出発点にするよう仕向けられないでしょうか。