コラム  2017.07.03

歴史に根差す本能

福井 俊彦

 トランプ大統領就任後半年経過し、メイ首相とEUとの間で正式に離脱交渉が開始され、世界的なゲーム・チェンジがいよいよ本格化しようとしている。間隙を縫って、中国、ロシアがこれからどう動くか。

 この段階で人々の心を過る疑問は何か。パックス・アメリカーナは本当に終わりつつあるのか。欧州はあらゆる障害を乗り越えて「統合」を達成し、新しい歴史を拓くということではなかったのか。そろそろアジアも、経済の底上げをベースに世界秩序形成の上で大きな一翼を担って然るべきではないか。

 経済のグローバル化や情報通信革命が始まり、続いて冷戦が終了した当初は、国境や地域の壁を乗り越えて、ヒト、モノ、カネ、情報が自由に流れ、より豊かでより平和な世界の訪れを期待することが出来ると、好ましい空気が流れた。しかし、その後の展開はそう生易しいものではなく、世界の至る所で、所得の著しい不均衡、社会の不安定化、テロリズムの多発、難民の洪水、ポピュリズムの台頭が顕現化している。

 この間、世界的に常識と思われていた考え方が幾つも裏切られている。例えば、「経済成長を遂げれば誰しもの満足レベルを引き上げることが出来る(パレート改善)」、「専制国家でも経済が発展するといずれ民主化に辿り着く(リップセット命題)」

 のみならず、昨今の展開を見ていると、歴史に根差す本能のなせる技が今改めて表面化して来ていると感じざるを得ない。元々アメリカの外交理念は、国際紛争には関与しない孤立主義を底流としている。ジェームズ・モンロー第五代大統領はモンロー主義と呼ばれる姿でこれを明確に唱えた。欧州は、民族大移動の嵐に揉まれ、安住の地を求めても到達し難い長い苦闘の過去を引き摺っている。中国は、王朝の栄枯盛衰の繰り返しの中で中華思想を守り続けて来ている(中国共産党による一党支配も王朝のある種の変形と看做し得るか。なお、孫文の辛亥革命の時<1911年>には民主化へ傾きかけたが、それも未完に終わった)。わが国の場合は、太平洋戦争敗北の苦い経験はあるものの、それでも基本的に国体は維持され、侵略を受けて国家体制が根底から覆った経験を知らない(元寇の役<1274年および1281年>も神風に救われた)まま今日に到っており、未だに「事勿れ主義」的志向から抜け切れていない。

 世界の人々は、怒涛の中に吞み込まれることなく、今こそ心根を強くして、未来に繋がる清新な波動を生み出して行かなければならない。ゲーム・チェンジの本質に沿った動きとは、正にそういうものではないか。

 日本にとっても、米国や欧州の動きを見定めてから「対応」方針を決めれば済む、という時代は終わった。アジアの有力な一員として、中国をはじめ近隣諸国に常に良い刺戟を与えながら、世界の新たなリーダーシップ形成へ「自立的に」、そして「より果敢に」参画して行くことが求められている。




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