コラム 2017.01.10
昔から、「先立つものがないと何も出来ない」という台詞をよく耳にする。この場合の先立つものとは、多くの場合「お金」のことを指している。豊かでなかった時代には、人々が夢を抱いていても資力の制約からそれが容易に実現されなかったので、この台詞には実感が籠っていた。
ところが、多くの人が豊かさを享受するようになってからは、人々の次の夢は何かを問うこともせず「先立つものさえあれば何でも出来る」との安易な気風が生まれた。その挙句、「お金さえ回転させれば、それ自身が新しい価値を生む」というマネーゲームの思想へと突っ走った。
資本主義と呼ばれるものがこの世に登場して以降既にかなりの歴史を経ている。その実態に即して初めのうちは商業資本主義、産業革命勃興(18世紀央)以降は産業資本主義と定義付けられた。そして20世紀も終盤近くになると先進国を中心に産業資本主義自体ほぼ成熟段階に到達したと認められるようになり、次のパラダイムを模索する時期に移行している。折しも情報通信革命急進展の最中にあり、金融と情報通信技術との親和性に着目して一頃次のパラダイムは金融資本主義ではないかと喧伝された時期もあった。ただこれは、リーマンショックを経験して一応幻想に終わった貎となっている。
そもそも産業革命はどうして起こったか。歴史を探索しても事前に誰かが全体像を描いて人々に示したという形跡はない。夢を追う人々の情熱溢れる動きが自ずと広がって、後から振り返って見ると革命と呼ばれる大きな飛躍に結びついたということではないか。
そして今は、次の新しいパラダイムを目指して人々がエネルギーを蓄積している時期ではないか。新しい時代はこんなものだと浮き彫りにして描き出すことは誰にも容易に出来ない。増してや、構造改革と称して政府に絵解きと施策を求めるだけではおそらく何事も成就しないであろう。
だとすると、初めから政府に頼るようなことはせず、民間部門において、それも既存の企業の枠組みにのみ囚われず、多くの新規の起業家の参入を得て、夢の追求とその実現を目指す動きが髣髴と湧き起こって来ることが第一。これには当然大きなリスクが伴うので、既存の金融システムが単に高度化するのみならず、リスクマネーがタイムリーに供給される仕組みが整えられることが大切である。
金融の超緩和が続いているが、これが今後のストーリーを築く主役だと錯覚されれば、ただ単に先立つものが暴走するという形で時の経過とともに弊害の方が大きくなろう。
先立つものは若い人が世界に通ずる夢を抱くこと。それを実現するために民間のイノベーションに火が着く。間髪を入れず、事業のリスクプロファイルを読み込んだお金がそれを追い駆ける。この順序でないと新しい時代は拓けない。