コラム  2024.08.06

世界はどこへ

林 良造

最近主要国の統治の質の劣化が目に付く。まず米国である。米国は”CheckBalance”の国として知られる。大統領制、二大政党制、多数決型社会で民意を吸収しつつ、憲法に書き込まれた三権間の牽制、各権の内部での牽制によって安定した政策を実現し、また世界の政治経済秩序を守る最終兵器としての強さ保持し世界のかじ取りを行ってきた。経済的にも成長をもたらす若い人口構成、市場でのイノベーションの根源である自由競争への強い信仰と英米法型の柔軟な法の支配によって、絶え間ない成長を実現できた。この牽制機能はトランプ大統領の非理性的で乱暴な政策変更をほぼ克服できた。しかしながら、その間に牽制機能自身劣化するとともに、自由と民主主義の理念が安定と繁栄をもたらすことに対する大きな疑問符を世界に拡散させてしまった。その後のバイデン政権はトランプよりも安心感はあるものの、トランプ登場の背後にある不満を包摂し新たな未来に向けて国民をまとめることもできず、世界秩序の守り手としての切れや凄みは全く感じさせない。その二人が争う大統領選のテレビ討論会で、米国社会の分断の根深さとその劣化の深刻さを改めて再認識させられた。

また、これだけの根深い社会の分断には社会の平均年齢といったものも影響しているように思われる。1970年には28歳であった平均年齢が今や39歳まで上昇している。一般的に若者にとっては、将来は長く理想に燃えてかつ多くのことはこれからの選択によるところが大きいことから、自由を求め理想を追いつつもしなやかさがある。それに比べると40歳近くになるとそれまで築き上げたものも重みをもち立ち位置も決まり、家族に安定した環境を提供する責任も強く感じるようになる。それが変化の速さに直面して、成熟したというよりも柔軟性を欠く側面が勝り、社会の分断の固定化にもつながっているように見える。

米国に対峙する中国の統治もしかりである。鄧小平の定年制・集団指導制は、米国の憲法に比べるべくもないがある種の安定機能を果たしていた。また、その後の20年間に蓄積された市場経済に対する科学的知見も市場を通じた世界の繁栄への担い手への変貌の期待も抱かせるものであった。しかしながら一党独裁保持のもとでの中華の夢の性急な実現を追い求めて選択した習近平の三期目に象徴される政策は、それでなくとも脆弱なチェック機構を大きく弱め、内外で不安定化を招いている。特に経済政策における「創意工夫と倫理」のバランスについて、市場の原動力の一つである自由・それに伴うインセンティブと、避けがたい委任の重層構造のAgencyCostとの中で、極めて不安定に見える。社会主義的正義の強要という手法は、経済的豊かさと平均年齢上昇に伴い固定化され始めた社会で分断を広げている。これは、小さなやりすぎや若干の不平等に寛容であることによって成長のエンジンとしてきた市場経済のイノベーションの好循環を揺るがせることとなりかねず、経済成長が中国社会の安定にもつ重要性を考えると新たな統治は極めて危険な道にみえる。


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