コラム  2022.02.08

公共政策大学院

林 良造

日本の統治機構の劣化が止まらない。政治の世界では、選挙公約を錦の御旗にしたポピュリスト的で市場の信認を損なう政策への安易な傾斜、中堅政治家の金銭をめぐる汚職やスキャンダルなど、国民の信頼を失う行為が続いている。またその対抗軸となるべき官僚機構も、コロナ対策の多額の補助金や基金の設立、その執行をめぐる腐敗、狭いグループ内のつじつま合わせや利益の追求、統計などの改ざん問題と、モラールの低下やゆるみが著しい。

このことは国家公務員への志望者の減少となって表れている。これには劣悪な勤務環境もあるが、仕事に対する充実感の消失も大きい。このような政策の質の劣化の兆しは90年代から現れ始めていた。世界各国で政策の質の向上を目指すインフラが進化するのに対し、硬直的な概念整理や声の大きさによる利害関係者間の妥協的合意、部分最適への傾斜に対する危機感を、私自身も強く感じるようになっていた。その一つの帰結が、「公」を目指す能力と志を持った人材を育てる場を作りたい、ということであった。

ハーバードロースクールへの留学、半導体協定・東芝機械事件などにバックチャネルとして携わった4年間、そしてケネディスクールで産業政策・日本の政策決定過程の講義の経験などが私の背中を押していた。

経済産業省を退官し米国に滞在中に、伊藤隆敏教授から東大で公共政策大学院を開設するので特定省庁に縛られない形で参加できないか、とのお誘いをいただいた。伊藤教授とは時期は異なるもののケネディスクールで教鞭をとった経験を共有し、故バーノン教授など共通の知人も多く、強い共感を覚えた。その後公共政策大学院は建物もない中、いくつかの寄付講座やプログラムの立ち上げ、迅速な決定ができるガバナンス体制の確立、国際的に認知されるプログラムのスタートなど、粗削りながら大変充実したスタートを切ったと思っている。特に諸外国の主要な公共政策大学院との交換留学などの連携や国際機関の奨学金プログラムなど、伊藤教授の大活躍がなければ実現できていなかったものは多い。

私が特に力を入れたのが、米国で体験した実務教員と大学の教員がペアで取り組む授業であった。寄付講座でも特定の一人の教授を雇用するのではなく、いくつもの産学官の協力授業や研究会を行うことで多くのコースを開設でき、大きな成果を挙げることができた。その多くは若くして急逝された佐藤智晶特任准教授の柔軟で幅広い知識と献身的な努力により支えられた。特に政府と一体になって薬事法から薬機法への大転換を実現し、日星国交樹立50周年記念授業を東大とリカンユースクールの協力プロジェクトとして作り上げるなど、彼の活躍は多くの人の脳裏に焼き付いている。

その公共政策大学院も設立後約20年が経過し制度基盤も整い、当初の熱気が冷め、管理的な色彩が強くなってきたような気がする。本来「公」に奉仕する仕事は、国益との一体感を感じられれば大変な高揚感を覚えるものである。現に省庁の若手の間で自主的な勉強会の動きも活発になってきていると聞いている。公共政策大学院でも、証拠に基づいた合理的な政策の組み立てへの道を指し示すなど、理論と実務を融合できる良質の政策人材の育成と政策の選択肢の提供に、挑戦し続けることを期待したい。


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