コラム  2023.09.06

「物価の安定」

-消費者の視点の重視をー
須田 美矢子

金融政策の目的は「物価の安定」で、消費者や企業が経済活動をする際に一般物価の変動に煩わされないですむ状況だ。日銀はインフレーション・ターゲティング(IT)を公式に採用する際に、数値では消費者物価指数で対前年比2%とした。

ITは当初、説明責任を果たしやすいと高評価だったが、次第に運用が柔軟化・複雑化し、対話も難しくなった。日本は10年たっても物価目標を達成できていない。また、海外先進国の物価上昇率は高止まりしており、ITの評価は芳しくない。IMFのスタッフは、物価上昇率の平均や変動、物価上昇率の釘付けの程度について、ITの公式採用国と非採用国の間で平均的に大きな差はなく、良好な結果を確保する上でITが果たした役割を抽出するのは簡単ではないとしている。

日本も今では輸入物価を主因に2%超の消費者物価上昇率が続いているが、植田日銀総裁は慎重だ。政策転換を急いで2%達成の「芽」を摘んでしまうコストに比べ、2%の定着を十分に見極めるまで「待つことのコスト」は大きくないとしている。この2%の目標達成重視の姿勢は、政策転換が遅れて緩和継続の副作用を強めるとともに、2%超の物価上昇率が持続するリスクを高めかねない。

ここで留意すべき点は、「物価の安定」の数値表現は、消費者物価上昇率2%で適切だと言い切れないことだ。「物価の安定」を測るものさしは消費者や企業の実感に即した指標が基本だが、消費者物価は消費者の実感を表す指標としては狭すぎるとの指摘がある。また、購入ルートの多様化や価格設定の複雑化などで、真の消費者物価上昇率の計測の難しさが増しており、その数値を厳密に扱うのは問題だ。例えば日銀スタッフは、家賃の下方バイアスによって消費者物価上昇率は年ベースで 0.2~0.3% 程度過小推計されているとしている。精度の低いものさししかない中、2%に引っ張られすぎないことが肝要だ。

また、経済活動の前提にある「国民の物価観」― 物価が安定していると消費者や企業が考える物価上昇率 ― は海外主要国よりも低く、物価目標2%の設定は早期に達成する目標としては高すぎであった。黒田前日銀総裁は超金融緩和によって物価観を2%に引きあげ、定着させることを狙ったが成功しなかった。

「生活意識に関するアンケート調査」によると、消費者物価上昇率が0.5%以上のときはほぼ全て、回答の過半(直近は8割超)が物価の上昇を認識しかつそれを困ったことだとしており、消費者の物価観の高まりはまだ窺えない。景気や賃金・雇用が改善すれば物価観が上がるだろうが時間を要すると思われ、低い物価観の下で高い物価上昇率への対応を怠ると、消費者は不満や将来不安を募らせ、消費を抑制的にし、景気・物価の前向きの循環を妨げかねない。これでは、持続的な「物価の安定」に繋がっていかない。

これらを踏まえると、今後ITの運用はより一層柔軟なものにする必要があろう。ピンポイントの数値目標に固執せず、消費者の視点に立って「待つことのコスト」も十分に考慮にいれて、遅すぎない政策転換を願うばかりだ。


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