コラム 2026.04.07
今回の原稿は沖縄本島北部にある伊江島で書いている。立命館大学の「国際社会で活躍する人材養成特別プログラム」の研修で学生とともに当地を訪れたのだ。同プログラムの創設者は、我がキヤノングローバル戦略研究所のアドバイザーでもあった、元内閣総理大臣補佐官の岡本行夫さんである。
外務省の大先輩で、筆者を当研究所に紹介してくれた恩人でもある岡本さんが亡くなって早6年が経った。新型コロナのパンデミックが始まった矢先、信じられない悲報に接し涙を流したことを今でもよく覚えている。その岡本さんが総理大臣補佐官時代から何度も訪れた場所の一つが伊江島だった。
回数だけではない。岡本さんは、この平坦な小島ながら3つもの滑走路を持つ伊江島に特別の思いを持っていた。沖縄戦が始まった1945年4月、米軍がこの島に上陸し、島を守る5500人の守備軍将兵・伊江島住民との間で文字通り死闘を繰り広げたからである。
日本側約5500人のうち、住民約1500人、徴用人夫約1200人を含む将兵約2000人が戦死した。徴用人夫を含めれば非軍人の犠牲者は約2700人にも上る、沖縄戦史に残る大激戦地だった。しかも、生き残った住民は島外に強制移住させられ、伊江島の地は、文字通り「真っ平ら」にされてしまったのである。
その伊江島戦で唯一残った建物が今も保存されている。それを見た筆者はまずガザを思い出したが、当時の伊江島の損害は今のガザの比ではない。学生たちはそんな激戦の生証人である島袋清徳・元村長から当時総理補佐官だった岡本さんとの初めての出会いについて直接話を聞くことができた。
島袋元村長は「岡本さんは人の話に真摯に耳を傾けた後、『伊江島の村民は耐え難き苦労を乗り越えたのですね』と言ってくれた。私はこの言葉を絶対に忘れない」と学生たちに訥々と語った。岡本さんという人は、失礼を顧みず言えば、「人間たらし」である。いや、どんな人間でも「武装解除」させる名人だったと思う。
あの何とも言えない岡本さんの人間的魅力は誰にも真似できないが、もう一つ、なかなか真似できない精神が「現場主義」である。岡本さんはその後何度も沖縄を訪れたが、彼のモットーは「理屈ではなく、今現場がどうなっているかを自分の目で確かめて、現場が何を欲しているかを考える」というものだった。
その精神は、立命館大学の岡本ゼミの学生だけでなく、このキヤノングローバル戦略研究所の外交安保ユニットにも引き継がれている。国際法がどんなに進歩しようと、そして科学技術がどんなに発展しようと、国際紛争が生じた時には、その現場に住んでいる人々の状況を理解しない限り問題の解決は難しい、ということである。
これこそ岡本さんが我々に残してくれた精神だった。岡本さんが亡くなってから6年、生前岡本さんが我が研究所の月例研究発表会には必ず参加し、的確なコメントと優しいアドバイスを与えてくれたことを鮮明に覚えている。今でも岡本さんは天国から、立命館大学とキヤノングローバル戦略研究所の活動を見守ってくれていると信じ、これからも更なる精進を続けたいと思う。
合掌