コラム  2025.10.07

ベートーベンとシラー :啓蒙主義は復活するのか?

宮家 邦彦

先週米国の旧友からメールが届いた。ワシントン市内から帰宅する車内でベートーベンの交響曲第九番「合唱」を聞いたという。「第九」といえばシラーの「歓喜の歌」が有名だが、友人はこの名曲を「ドイツ・ロマン主義の趣を帯びつつも、本質的には啓蒙主義的価値観への熱狂的な賛歌」だと書いた。「ベートーベンとシラーは音楽と詩によって、啓蒙思想が迷信や抑圧の敵であると同時に、知性と慈愛に根ざした楽観主義と信仰の盟友でもあることを示した」のだという。「随分、柄にもないことを言うなぁ」と思いつつ、実は筆者も似たような感覚を覚えていた。

半世紀前のサンフランシスコ

その時筆者は偶々サンフランシスコのヘイトアシュベリー地区に住む友人を訪れていた。「ヘイトアシュベリー」と聞いてピンと来る向きは相当の米国通。同地区は1960年代後半に一世を風靡した「ヒッピー」運動の発祥地である。この運動は旧来の伝統的キリスト教の保守的価値観に対抗する新しい政治・文化運動の走りだった。

ヒッピー運動のきっかけは1967年、サンフランシスコのゴールデンゲートパークで開かれた集会だそうだ。それ以降ヒッピー文化は全米に拡散し、1969年には有名なロックコンサート「ウッドストック・フェスティバル」が開催されている。当時は伝統的な諸価値が否定され、反戦、自由、解放が叫ばれた。冒頭の米国の友人や筆者の世代にとっては実に懐かしい、古き良き時代である。

「バナナ共和国」化するアメリカ

ところが、こうした政治文化は21世紀に入り、急速に否定されていく。特に、トランプ政権の登場以降、第二次大戦後定着したかに見えた啓蒙主義、自由主義、国際主義がその輝きを失い始めた。今や米国では、独裁志向の極めて強い大統領の下で、半強権的手法による政策立案・実行が恒常化しつつある。「このままだと米国は『バナナ共和国』になってしまうぞ」とサンフランシスコ在住の友人を揶揄ったら、「今の米国はそれ以下。少なくとも『バナナ共和国』はバナナを生産できる」と嘆いていた。

日本の生き残りを賭けて

こう見てくると、やはり「歴史は韻を踏む」ようだ。過去2世紀半を振り返っただけでも、18世紀末のフランス革命、19世紀前半のベートーベンとシラー、後半の「アメリカ第一主義」の台頭、20世紀前半の第一次大戦、ホロコースト、第二次大戦を経て、後半には国連、世銀、IMF、WTOが創設され公民権運動も進んだかと思えば、21世紀に入ると再び「アメリカ第一主義」、反ユダヤ主義、反啓蒙主義の嵐が吹き荒れているではないか。

以上のエピソードは近い将来、世界で再び「パラダイムシフト」が起きる可能性を強く示している。この大混乱の中で日本は、如何に大局を見失わず、かつ国家としての一体性を維持しながら、中長期的に正しい判断を下せるか否かが問われている。果たして今の我が国の政治・経済の指導者たちは準備が出来ているだろうか。やや心配な今日この頃である。


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