コラム  2026.11.06

災害は忘れたころにやってくる?-社会の記憶と「想定外」-

日下 一正

「末の松山波越さじ」と百人一首に詠まれているのは、貞観地震と津波の記憶を伝えるものとも言われている。明治三陸地震では海抜60m地点に「高き住居は兒孫の和樂 想へ慘禍の大津浪 此處より下に家を建てるな」との石碑が建てられた。

東日本大震災の際に住民の避難場所となったのは東北電力の女川原子力発電所であった。東北電力は将来の原子力発電所建設を念頭に、戦前ロックダムの権威であった平井弥之助らの下、東北大学の知見も得て地質を重視し女川を選定した。さらに平井は、通産省から敷地高を海抜12mでよいとの了解を得ていたものの、869年の貞観津波など過去の大津波を重視し、14.8mとして安全を期すよう主張した。基準を満たすことと、自ら安全を考えることとは同じではない。

災害、事故から社会を守る際、自動車、航空機、薬品など、それぞれに認可当局と開発、実用に供する事業者がいる。しかし、専門的知見を最も持つのは誰だろうか。認可を受ければ、事故が起きても事業者は知らない、とはならない。

米国ではスリーマイル島事故後、規制当局の能力にも限界があるとの認識から、産業界自身が専門家を集め、原子力発電所をベストプラクティスと比較評価する仕組みが生まれた。その評価は電力各社の首脳にも示され、peer pressureによって改善を促す。民間保険も、豊富な資金で専門家を擁し、リスク評価や保険料を通じてこれを補完する。政府だけで最優秀の専門人材を確保することには限界があるからである。メキシコ湾原油流出事故後の大統領委員会も、原子力のこの経験を参考に官民が補完し合う仕組みを検討した。社会にある専門能力をどう組み合わせるかという知恵である。

日本に限らず世界的にも、地震に加え豪雨による災害も、今や忘れる前に来る。これまで防災は、インフラ整備を含め政府や地方自治体の役割と思われ、住民や企業はその備えを受ける側になりがちであった。しかし近年、サプライチェーンの寸断が事業存続を脅かすとの認識から、企業自身による防災、拠点の選択や分散化も進んでいる。損保会社にも、付保する企業自身のリスク軽減を促す動きがある。

広域災害は、平時を想定した自治体の対応力を超え、自衛隊も優先順位を付けざるを得ない。「将軍は常に前の大戦を戦う」と言われるように、災害対策も前の大災害と同じタイプへの備えに偏りがちである。

首都圏そのものが被災し、司令塔が機能できないとき、医療、食品、安全な水、エネルギーなど最低限のライフラインを、指示待ちでなく、それぞれが自走して支えるには何が必要か。

過去の災害を社会の記憶として受け継ぎながら、「想定外」は起こるとの前提に立ち、官だけに委ねず、社会の構成員がそれぞれの能力に応じた役割を主体的に担う。そうした強靱で回復力のある resilient な社会を創り上げていきたい。


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