コラム  2025.11.07

どのような国を目指し、新しい国際秩序を創ろうとするのだろうか

-「坂の上の雲」と天谷直弘の「商人国家論」を振り返って-
日下 一正

「坂の上の雲」が連載中の1970年、ニクソン大統領による繊維交渉の真っ只中に私は通産省に入省して社会人としての生活が始まった。1971年8月15日に“ニクソンショック”、つまりドルの金兌換停止とグローバルに10%の輸入課徴金を決定―ブレトンウッズ体制は米の体力を削いでおりリセットが必要だとして変動相場制への移行へ繋がる決定であった。米トランプ大統領はニクソンのこの政治判断を尊敬していると言われている。

田中角栄の英断により繊維は決着を見るが、その後、カラーテレビ、鉄鋼、自動車、半導体と貿易摩擦は続き、私自身は、担当の課で繊維救済の2千億円の措置に取り組み、日米自動車交渉では4年に亘り1981年の168万台の輸出規制まで関わることになった。

経済はグローバル化しても政治は常にローカルだ。影響を受ける側は常に政治問題化するのを目の当たりにしてきた。グローバルな相互依存が現実のもので有る一方、ローカルな政治がどうそれを消化し「社会契約」を創りだしていけるかが、国家の役割としてのチャレンジである。中道派は左右から攻撃を受ける中で、これが出来ないと民主主義政治とglobalizationは共存出来ない。

対米自動車輸出規制に踏み切る中で、当時の天谷直弘通商産業審議官は、「町人国家論」を唱えた。日本が安全保障上の責任を果たさない現状においては、「帯刀せず、場銭も払わず、存分に賭場(市場)を荒らすのは深謀遠慮至らざる」と喝破した。 当時は、第1次大戦から第2次世界大戦に向かう間の富国強兵というホッブスの世界、変動相場制及び重商主義が常識だった時代の記憶も残っており、ブレトンウッズ体制の脆弱性が意識されていたとも言えよう。

70年代のビジョンの策定に当たって天谷は、政策もどんな社会を創るのかという国民的目標=「坂の上の雲」と結びつかないと、日本は「坂の下の泥」に停滞すると警鐘を鳴らした。

冷戦終了に伴うglobalization及び制度としてのWTO体制に支えられ、市場の参加者は、この国際経済秩序が永遠に続き、不足する部分はFTAや地域統合で補えるとのとの思考に傾いた。しかし今、それが特殊な条件が整った場合にだけ成り立つことに気づかされた。

英語での"blessing in disguise"という表現はまさに「災い転じて福となす」と同義で有り、一見不運に見えることが後になって幸運を齎すとされている。

トランプ大統領に各国とも振り回されているが、これは、実は、「隠された恵み」なのだろうか? 経済で1か国に大きく依存することは、対中であろうと対米であろうと、対抗力つまり交渉力が脆弱になる。市場の多角化が企業にとっても国家にとっても戦略的に求められる。実質、逆FTAで対米だけ関税が高くなることによるtrade diversionが起こる力学がこの動きの後押しをする。安全保障も1か国にだけに依存したとき、相手の国の指導者や国民の意思が変化してしまった場合でも、自国を託す安定的な枠組みと言い切れるのだろうか? カナダ、欧州はこの点に反応を始めている。

トランプ大統領は、too lateになる前に上手くリスク管理をする為の目覚まし時計を鳴らしてくれたのではないか? そのアラームで目覚めて、どのような国を目指すのか、新たな社会契約の模索が進みだすことを期待したい。


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