コラム  2023.11.07

国家はどのような役割を担うのか?

- グローバルなガバナンスと国内での役割:大きな政府の気配 -
日下 一正

 ヒットラーの台頭を可能にした経済破綻という歴史の教訓も頭によぎる中、2008年の金融危機では国際的に連携した膨大な救済と景気刺激がグローバルガバナンスの成功事例となるとともに、マーケットの規制がどれだけなされるべきかの議論が巻き起った。  この背景には、米国では、EUの大きすぎる政府の役割を批判する一方、大きな政府の民主党と市場原理と自助努力を唱える共和党が、選挙民の選択肢を作ってきた歴史が有る。

 ところが、いま3年間に亙るコロナ対策を経験すると各国とも政府の役割についての閾値が大きく変わったようにみえる。

 環境問題も対立軸を構成している。Green Transformation(GX)の実現に向けて、米国、EU、日本で、嘗て批判も受けた「産業政策の再来」の様相を呈している。

 政府の役割の拡大が、経済の面からは、財政的にサステナブルかどうかという点と「自立の精神」の劣化を招き活力が損なわれて自助努力を損ない活力の低下をもたらさないかという視点が必要である。

 地球温暖化問題については、市場の失敗と位置づけ、規制と政府資金で対応を図るという「大きな政府への大義名分」が出来たと捉える欧州を始めとする成熟した先進国の見方と、経済の成長なしには環境問題を始めとする自国の直面している諸課題への対応の人的、資金的、技術的能力を持つことが出来ないとする発展途上国の考え方が長年にわたり対立してきた。この対立の背景を理解するため、1980年代の半ばまで遡りたい。筆者が国際エネルギー機関(IEA)で省エネ政策を担当した当時は、レーガン・サッチャーの市場原理主義の全盛期で、税制で消費者が直面する価格を上げるというのは「市場=神の手」に対する冒瀆として猛反発を食らった。石油価格が上がってもポピュリズムで財政補助を行って消費者価格を下げるなどは許されないと新興国に説教をしていた。最近、選挙対策のため先進各国が補助金でエネルギー価格の上昇を抑えているのを見ると、隔世の感がある。

 大きな政府派としては、市場原理主義を切り崩す橋頭保として地球温暖化問題を使い、市場の失敗だとして多くのステークホルダーが賛同する流れが定着していく。

 成長無くして環境を始めとする諸課題の解決も出来ないとのアプローチに近いのがSDGsで、17のゴールの最初に貧困、3つ目に健康、6つ目に安全な水、7つ目がクリーンで手の届く価格のエネルギー、8つ目に経済成長、13番目に地球温暖化が出てくる。その心は、それぞれの国が喫緊の課題に優先順位を決めて取り組み、次第に他の分野に手が回っていくとの思想である。

 冷戦の終了とともに、国家間の軍事的な「安全保障」が役割を縮小しつつあるとして、「平和の配当」として軍備費削減の流れに傾いたのが、ロシアの再度のウクライナ侵攻が第2次世界大戦の教訓として「融和政策」の失敗を想起させ、NATO、日本ともにGDP2%が改めて具体的課題となった。「夜警国家」という国家の役割のコアの部分が特に第2次世界大戦後の日本で初めて表舞台で注目される展開となった。

  国内のガバナンスにおける国家の役割については、特に米国で顕在化している政府への信認の低下が、社会の分断と政党の党派性の高まりから起きている現象にどう対応すればいいのだろうか? 激しい選挙戦を戦った後、立法府はno sideで休戦に至らないものの、党派性を自制した行政府がつくれるだろうか? 国内で分断が進む中で、格差の是正に繋がる国家の役割が果たせているか等デモクラシーをサステナブルにする知恵が要る。


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