コラム  2023.05.10

何がグローバリゼーションの原動力だったのか

日下 一正

原加盟国としてのGATT復帰及びWTO創設時メンバーを目指しての15年に亙る交渉を経て、2001年に中国がWTO加盟を実現した。冷戦終結により東欧が世界経済に組み込まれていったこととともに、経済のグローバル化の流れを造った出来事だと言われている。いま中・露とのサプライチェーンのデカップリングが唱えられる中で、グローバリゼーションは死んだのであろうか? 市場経済国でない中国を加盟させた交渉が失敗だったとの批判も有る。

私自身が交渉に関わった当時、中国交渉団の中核をなす文革後の欧米留学組は、鄧小平の「社会主義下での市場経済国」との錦の御旗を活用し、WTOという外圧を利用して国内の守旧派の抵抗を打ち破ることが彼らの隠れた戦略であった。

この中国の改革開放に直面し、ASEANは成長の原動力たる海外からの直接投資を引き続き惹きつけるため経済統合を進めることになる。「国は投資を選べない」「投資者が国を選ぶ」との力学を踏まえて、よりビジネスフレンドリーな国・地域になろうとの「競争的自由化」のダイナミズムであった。

シルクロード、東インド会社のように、困難を乗り越えた多国籍間の「モノ」の交易は過去も有った。しかし、今次は「カネ」と「技術」を体現した直接投資がグローバリゼーションの扉を拓くことになる。そして、その帰結として起きた「ヒト」の移動を必然的に伴うサービス産業の自由化は、金融業に留まらず、鉛管工、花屋などの身近なサービスを含めた庶民の職を目に見える形で脅かし、国内問題のど真ん中に浮上させたことが特徴である。インターネット、SNSなどを通じて目に見えるようになってきた「資産及び所得の格差の拡大」がグローバリゼーションによるものではないかとの認識と併せ、米国のトランプ現象、英国などにおけるEU統合の深化への疑念などが顕在化した。経済はグローバル化したが、政治はローカルだというセリフが本質を突いている。

政治による速度調整は、事故を防ぎながら前進を図る試みに過ぎないと正当化する悪魔の囁きもある。確かにポピュリズムは政治の基本では有るが、経済政策としての合理性、サステナビリティがなくては、モルヒネに留まろう。G7の会議の使い方も、当初は石油危機とインフレに直面して、国内政治的にはとても言い出せないような「口に苦い良薬」を”G7の合意”であると称して国内に持ち帰り、合理的な政策を追求しつつ、それぞれの首脳を次の選挙での落選から守るという知恵で有ったといってもいい。

グローバリゼーションが踏まされている安全保障面からの踏み絵「新冷戦」は、どのような展開になるであろうか?

民主主義国家との体制選択というのは、G7/OECD的な狭い見方ではないか? 以前の中国を見ても明らかなように、競争といくつかの路線を巡っての党内派閥間の対立を内包する体制も目覚ましい成果を成し遂げてきたことは記憶に新しい。才能の有る人材、innovation、生産・雇用の創出を追及するエネルギーを国民が発揮できるガバナンスが有るのか、それともレント・シーキング、政治的保護を求めるロビイングで成り立っている社会であるかの選択を巡る闘いではなかろうか?

自国ファーストを前提としながら、グローバリゼーションを自国のためにどう活用していこうかというローカルな政治の意思、つまり賢明な選択が出来るか否かが今後を方向づけることになろう。


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