コラム  2022.11.08

政策の乗数効果 —コミュニケーションの力—

日下 一正

1980年代の半ばに、パリの国際エネルギー機関(IEA)事務局で省エネ部長として勤務したことが有った。当時は73年、79年の石油危機を経てbarrel $3から$34へ高騰し、OPEC以外での原油開発、更には石炭、天然ガス、原子力の代替エネルギーの開発と省エネが進展し、結果、$9へ原油価格の急落を招いた時期でも有った。

市場が発出する価格シグナルは「もっとエネルギーを使え」と言っている中で、「消費者が直面する価格を上げたい」つまり税を活用することで市場のシグナルを是正するメッセージを送ることが望ましいと提案したところ、猛反発を食らってしまった。レーガン米大統領とサッチャー英首相の時代で、市場は神聖であるので、人為的に価格に介入することは許されないとする市場原理主義に基づくものであった。さて、省エネ白書を書くのに何を軸にしようかと悩み、NGOの活力、影響力が盟友だと気づき、環境という価値観から省エネへ旗を振っている陣営との連携を図り、homo economicusという経済合理性を超えて人を動かす力が有ることに目覚めた。

もう一つの動きは、英国通産大臣のMonergy campaignである。Oxfordの辞書にmoneyとenergyを併せた新語として記載されるに到ったが、特に企業部門でコスト計算の釣り合う省エネが有るというメッセージで有った。尤も日本経済が石油危機後強くなったのは、エネルギー投入量の効率的管理を通じ、どんぶり勘定から脱却し全ての原単位管理の高度化を成し遂げたことが背景に有ると見て、入り口はエネルギーであるが、Monergyは英国企業の競争力回復が狙いだと関係者は語っていた。

エネルギー価格には為替の悪戯が有り、ドル建てで決まる原油が$34から$100になる中で、円高が270円から100円に進み、円で感じている日本の企業、家計の消費者にとっては横ばいで有った。現状は、ドル建てでの高騰と円安の同時進行で、ダブルパンチとなる。企業の競争力という観点でも円高進行の際は、水位が上がってくる中で如何に背丈を伸ばし泳ぎを覚えるかという緊張感が官民で共有されていたが、円安進展はcomplacency(現状満足・変化否定)を招来し、弱体化が進む。

乗数効果という言葉がある。千円が政府から追加支出されたときに、廻り回って経済全体としてどれだけのGDP増を創り出すかという財政面での物差しである。お金にメッセージが乗せられずに出ていくと、裸のお金の乗数効果しか効果はなかろう。価値観を語り、夢を語り、どの山頂を目指すのかを政治のリーダーシップが発信してこそ、税、補助金、融資などの対象者以外でその10倍もの民間での動きを触発することも可能になる。市場の出すシグナルとエネルギー・環境・経済政策が目指す方向が同じ方向を向いていれば、「政策の乗数効果」も上がる。

コロナ及びウクライナ戦争への対応が、低所得層に不均等な負担を強いている中で、多くの民主主義国家において現職のリーダーの弱体化が進んでいる。信頼され、コミュニケートする力が試されていると言えよう。

シンクタンクの役割は、”narrative”と言われるストーリーを創り出し、知的な正直さを持って検証し、補完して発信することであろう。そうすることによって、民主国家に於いて、ポピュリズムに過度に影響されずに、「より良い」、或いは「より少なく悪い」選択が、政治という市場の中で可能となる。


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