コラム  2021.05.10

信なくば立たずとVoice

日下 一正

孔子は政治の要諦を問われ、「食を足し、兵を足し、民これを信ず」と答え、やむを得ず捨てる時はまず兵を捨て、さらに人はいずれみな死ぬのだから食を捨てよ、されども信頼が無ければ統治は成り立たないと述べたといわれる。北東アジアにおいてはこの言葉は古来統治の規範と目され、ましてや現代において経済優先の開発独裁・一党独裁の正当性は改めて問われている。

最近米国の大統領選で見られたことは、成熟した民主制においても先鋭な政治・社会グループ間の対立の中では敗者が選挙結果を受け入れることが極めて困難になるということである。これは政権移行が組み込まれている民主制への根源的チャレンジであろう。2000年のAl GoreGeorge Bushの大統領選が先例であった。当時の国務次官のFrank LoyCOP6の全体会合で、「民主制は初期には選挙前に結果が明らかになり、進化とともに数日後に結果が判明する。更に進化すると数週間でも短すぎる」とジョークを込めて言及し喝采を浴びた。今回との大きな違いは、敗者が連邦最高裁の判決に強く異議を唱えつつも人としての結束と民主制の強さを守るために敗北宣言を行った点である。今回着目すべきは歴代国防長官が選挙結果に関与しないとの手紙を発出したことである。この点がタイ、ミャンマーなどで再度、軍が政治的役割を果たしてきていることとの明確な違いで、米国を民主制のリーダーに復帰させる動きであった。

今我々が直面しているのは“institution”(制度、諸機関)への信頼が揺らいできていることである。Covid-19パンデミックは所得・資産格差問題、更には社会・政治的分断を浮き彫りにした。取り残されたと思う人々が彼らを代表する既成の政党を見いだせないとき、彼らはSNSをはけ口にするか街頭での行動に訴えざるを得ない。

パンデミック以前でもOECDの報告によると、2019年に45%の人々しか自国の政府を信頼していない。信頼は社会的結合にとって不可欠であり、拘束的手段に依らず政府が統治することを可能にする。何人かの研究者は今回のパンデミックに際して、女性のリーダーが国民とより効果的にコミュニケート出来たと指摘し、アフリカにおいては社会的結束の強い部族が伝統的医療と相俟って効果的な対応を可能にしたと報告している。

しかしこの信頼の低下にどう対応すればいいのだろうか? Albert Hirshmanは衰退する組織へのレスポンスを論ずる著作”Exit,Voice,andLoyalty”(1970)の中で、不満を持つ人々はそれを表明せずに組織を立ち去ることが多いと分析する。感受性に秀でたリーダーでないと察知し対応するのは難しいが故に、組織内からの異論を唱えるvoiceの役割が大きく、組織の生き残りのため必須のものとなる。

信頼はグローバル化した世界において必須である。法的な拘束力は元々期待できない国際社会だからである。米国の多国間主義への復帰を機に、国際機関、制度への信頼を取り戻すときである。voiceが鍵で有り、より多様なプレーヤーがownershipといわれる主体的な参加意識を持てるよう改革していくことが急がば回れで有ろう。


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