コラム  2026.05.08

情報があふれても

氏家 純一

70年代初め、大学院生の頃、ある教師に「情報はただではない。集めるにはコストがかかる」と教わった。また別の教師からは、「情報は売り手と買い手の間で非対称である」とも教わった。そうであるなら情報収集の限界的なコストがその情報から得られる限界的な便益に見合うところまでしか収集を進めないし、それでも非対称性が消滅することはない。

あれから約半世紀、インターネットとAIがユビキタス状態にある今、情報の氾濫には目眩がするほどである。朝の地下鉄では、皆の目がスマホに吸い寄せられている。コストが大幅に低下した結果、得られる便益が微少になるまで情報収集を止めないからであろう。インターネットとAIは産業革命以来、最も革命的なイノベーションとも言われ、多くの市場はより効率的になり、大きな資金を必要とする住宅、自動車、旅行などでは、価格のばらつきも非対称性も縮小してきている。

では、自分が長らく関わってきた金融・資本市場や企業経営ではどうであろうか。最大のパブリック市場である上場株式では、アクティブ運用からパッシブ運用へ、ファンドマネージャーの運用からアルゴリズム運用へと手法は移り変わり、効率性と透明性は増している。最大のアセットクラスである不動産市場でも、価格の透明性は上昇してきている。しかし、これらの市場に大きな変化や衝撃が訪れ、賢明な判断が必要とされる時、価格変動の幅と所要時間が顕著に縮小してきているとは言えない。むしろ不確かな情報による変動幅が短時間に増大する傾向にある。また、企業経営に際して必要とされる情報に関しては量的拡充と質的向上が近年とみに求められ、このイノベーションに遅れると命取りになるとメディアは騒ぐ。産業の違いを超えて情報の利活用は格段に進んできたが、一握りのプラットフォーム企業が巨大化する一方で、多くの企業において経営の効率と質が格段に向上したかといえば疑わしい。

数年関わった教育分野でも、情報収集と知識習得のコストは大幅に低下している。ほんの些細な便益しか生まれなくなるまで学生たちは収集を止めないため、レポートの質は格段に向上してきているが、その多くが機械学習頼りで、自分の頭で絞り出した箇所を見つけるのは容易ではない。

もう一度、70年代に戻ろう。薄暗い図書館で卒業論文と格闘していた頃、指導教官の一人に「多量の本や論文を読んでも、それほど先には進めない。あれこれ読まずに自分の頭で考えろ」と諭され、愕然とした。また、80年代初めにスイス現地法人を経営していた頃、実業の教師であった老バンカーから「If I know, I wouldn’t tell you. If I don’t know, I can’t tell you.」と告げられ、面食らった。

半世紀を経て、私たちは、情報収集と知識習得のコストを著しく減少させる強大なツールを手にした。しかし、それだけで市場も企業経営も教育も、質量ともに飛躍的な進化を遂げているとは思えない。むしろ、自分の頭を鍛え、考え抜く力が試されている。インターネットとAIは、その力を養うためにこそ使われて、革命的なイノベーションとなるのだろう。


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