コラム  2024.10.11

私の終活

林 文夫

父の遺品整理で一番時間がかかったのは、蔵書だった。

古本屋や大学図書館に相談したが相手にされない。本が貴重品だった世代としては、まとめて廃棄しようとは言えなかった。それどころか、調べると、鉛筆で傍線が引かれた経済学関係の新書が出てくる。息子の仕事がどういうものか密かに勉強していたらしい。そういう本は捨てられない。

友人のYale大学のオフィス(研究室)を訪ねたことがある。奥の間があり、満杯の書架が何列も並んでいた。この大学では個人図書館が教授の権利なのかもしれない。あの蔵書をどう処分するのか、他人事ながら心配になった。

1980年代の私のオフィスを思い出すと、蔵書はせいぜい十数冊だった。私の専門分野では本は業績ではないことの反映だが、では本棚に何があったかというと、半分は学術雑誌のバックナンバーだった。バックナンバーにない重要論文のコピーは、ファイリングキャビネットに著者の名前順に並べた。

これを書くと歳がわかってしまうが、私が大学院生の頃のコンピューターによるデータ処理とは、データとプログラムとを記録したパンチカードを計算機センターの受付に出し、計算結果のプリントアウトを抱えて暗い夜道を帰ることだった。こういった紙媒体が本棚の残り半分を占めた。

その後の教員生活の前半は、文書のデジタル化とパソコンによる大型計算機の代替の時期と重なる。大学を移るたびに、オフィスは片付いていった。バックナンバーと論文のコピーはPDFファイルになった。パンチカードとプリントアウトは時効と思われる頃に廃棄した。私のオフィス終活は、こうして退職前に終わっている。

私物の終活はというと、最近の経験で方向性は一段と明確になった。

今年も春学期はシカゴ大学で教えたが、持っていったものは、スーツケース一つとバックパックだけ。あるカジュアルブランド(James Perse)の真冬から初夏ものを「こんまり」流に畳めばスーツケースに余裕で収まる。住居はタワマンの家具付きアパート。音楽はSpotify、映像はアマプラやYouTubeで。備品のBluetoothスピーカーの音質を除けば、日常生活には何の不満もなかった。

帰国し改めて自宅を見渡した感想は、シカゴに持っていかなかった私物は今後なくても困らないということだ。家具と衣類を除けばめぼしいものは、LPレコード、カセットテープ、CD、映画のDVDだが、これらは売りに出せば値段がつく。

私の終活とは、音楽と映像のレーガシーソフトをメルカリで売り切ることである。


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