コラム  2022.04.07

紙をなくす

林 文夫

学生時代に『知的生産の技術』(梅棹忠夫著、岩波新書、1969年)を読んだ。道具立てが具体的で、創造性に自信のない私でも知的生産ができるかも、と思わせる内容だった。

主要な道具は、B6判のカードとA4の垂直式ファイルの二つ。カードは何枚も持ち歩いて、発見や閃きを忘れないうちに記録する。後で並べ替えてみて、まとまった考えにする。本とカード以外のすべての資料は、サイズの大小にかかわらず、個別にA4ファイルに入れる。

研究者になってからもこの方法を実践しようとしたが、カードは使いこなせなかった。私の専門分野では、新たに説明可能な経済現象の発見が重視される。データと整合的な仮定から出発して現象の説明に至るまでの論理を構築できれば論文になる。こういう論文ネタは、私の場合、何年に一回しか閃かないし、閃いたらそれについてしか考えないので、カードを持ち歩く必要はない。

カードはやめたが、ファイルによる資料整理は続けた。資料はクリアファイルに挟み、関連するクリアファイル群はまとめて一つのフォルダーに入れる。しかしファイルの数が増えるにつれ、検索に時間がかかるようになった。たとえば、確定申告のため、A商店からの領収書を探すが「A商店」を見出しにしたフォルダーに入っていない。「領収書」のフォルダーにもない。いくつものフォルダーを開けてやっと、「確定申告」に入れていたことが判明する。

この問題には究極の解決法がある。資料はスキャンしてPDFにすればよい。ファイル名は複数のキーワードを日付と共に入れる。たとえば、「A商店_領収書_2021年5月」のように。キーワードをいくつか指定してパソコンの検索機能を使えば一発で求めるファイルが出てくる。

そもそも資料が紙でなくPDFならスキャンの手間は省けるのに、特に役所の発行する資料は紙が多い。領収書や契約書に印紙貼付を求める慣習も、ハンコ同様デジタル化を阻害している。今年も税金の電子申告でこの点を実感した。

先日用事があって区役所を訪れた。PDF化どころか、紙ベースのファイリングも徹底していない印象を受けた。机の上には書類のバインダーが積み上がっている。区役所や都庁の立派すぎるビルは、デジタル化が進めば不必要になる巨大な文書保管庫に見えてくる。

教育現場のデジタル化も遅い。私の授業は、教材をクラウドに置くので紙は使わない。これに対し小・中・高では、いまだに教科書も宿題も紙ベースだ。スタバで勉強する高校生を見ると、スマホ以外の道具立ては私の学生時代と変わらない。学校では、デジタルスキルのない年配の先生への配慮から護送船団方式を取らざるを得ないのだろうか。


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