コラム  2020.10.13

ノーベル賞的経済学

林 文夫

毎年この時期になると、「どうして日本の経済学者はノーベル賞が貰えないのか」とか、「受賞者は出そうなのか」という質問を受ける。他の科学と同じく、経済学でも、査読付きの学術雑誌に載る論文が業績だ。ゴルフには四大大会(全英,マスターズ,全米,全米プロ)があるが、経済学では誰もが認める五大誌というものがある。そのような権威ある学術雑誌に掲載された論文が安打だとすると、被引用回数が千以上ある論文はホームラン、万を越えれば満塁ホームラン。満塁ホームランがないと、まずノーベル賞は貰えない。内容の良い論文なら被引用回数が増えるのはその通りだが、営業努力も重要だ。学会にせっせと出席して、引用してくれそうな人をつかまえて自分の論文を宣伝する。あわよくば暗黙の引用同盟を結ぶ。博士論文の指導教官として弟子を育てれば、彼らは伝道師となる。このような営業活動は、人材が集積するアメリカに在住しなければ困難だ。優秀な大学院生は博士号取得のためアメリカへ去るので伝道師になってくれない。日本ばかりでなく大陸ヨーロッパのノーベル経済学賞受賞者が少ない(例えばドイツは一人)理由の一端はここにある。しかしこれだけでは、経済学のみ受賞者ゼロの説明にはならない。より根本的な理由は、経済学へのリスペクトの欠如だと私は思っている。アメリカの経済官庁や中央銀行には、合計して少なくとも数百人の経済学博士が雇用されている。日本とは桁が違う。アマゾンやグーグルや外資系の証券会社にとって経済学博士は戦力だ。日本における経済学博士の軽視は、学者志望の若者の躊躇となる。

さて、日本人の経済学賞受賞者は出るのか。この数年で出る可能性は半々と私はみている。ただし、博士号も日本・在籍大学も日本という「純国産」の受賞はありえない。博士が外国(ほとんどの場合アメリカ)・在籍が日本というハイブリッドの受賞確率はどうか。ゼロと言うと、それぞれゲーム理論とミクロ計量経済学で顕著な業績をあげている先生に失礼になる(後者の先生は最近アメリカに移った)。残念ながら万が一というレベルだろう。その万が一が起きれば、断トツに低給料の受賞者誕生となる。現実的に言って、受賞は外国・外国タイプになるが、それが喜ぶべきことかどうかは微妙だろう。プロしか読まない学術雑誌で満塁ホームランを打った人に有益な時論や政策提言ができるとは限らない。むしろ、できない可能性の方が高い。私は受賞者を何人も個人的に知っているが、受賞して人格が変わる例がある。何を言っても注目されるから、科学的リサーチに基づかない俗説のようなものを発信しだす人もある。経済学博士を粗末にしながらノーベル経済学賞で大騒ぎするのはそろそろやめたほうがよい。


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