コラム 2026.06.08
世界経済は2026年春、ヨーロッパ近傍での二つの熱戦とアジアでの冷戦の兆しに直面した。その影響を経済学の教科書的に理解すると、まず供給面では、戦争が原油や天然ガスのみならず、ナフサ、アンモニア、肥料、そして食料に至るまでの各種資源の生産・輸送を制約する。また供給に係るリスクの高まりは、コロナ感染とウクライナ戦争勃発以来の企業のリスクマネジメントの転換、つまり「ジャスト・イン・タイム」から「ジャスト・イン・ケース」への転換を加速し、調達先の多様化や在庫積み増しに伴うコストの上昇を招く。
需要面をみると、防衛がもはや抽象的な概念ではなく現実味を帯びるにつれ、兵器の調達のみならず人材の活用、情報の高度化、医療体制の整備など幅広い分野で、財政支出の拡大が要請されている。他の分野で支出削減をしようにも、ポピュリズムが強い多くの国で社会保障費の削減が進みにくく、結局財政支出は膨張する傾向にある。つまり、戦争は総供給を抑制する一方で、総需要を押し上げる。
国際政治の緊張が高まると同時に、AI革命が加速している。AIは今やビジネスにも個人にも日常生活に入り込んでいる。多くの予想を凌駕するスピードでの浸透だ。AIは生産性を飛躍的に高めるため、将来、総供給の拡大を通じて大量失業とデフレをもたらすとの見方がある。しかし現時点では、データセンター、半導体、電力など関連部門への巨額投資が総需要を押し上げている。そしてそれらの価格と関連会社の株価が急上昇している。AIは長期的には供給拡大要因であっても、足元では需要増大を通じて物価上昇圧力を生んでいる。
今後の世界経済の展開は、戦争の行方に大きく左右されるが、ここではウクライナと中東の緊張が緩和する比較的楽観的なケースを考えよう。この場合でも、需要超過と供給制約は続き、成長鈍化と高インフレが併存するとみられている。貯蓄面では、先進国の財政赤字が2026年にGDP比0.5%ポイント拡大するとの見通しをIMFが最近公表した。対外収支面ではエネルギー輸入国の赤字幅が拡大する一方、貿易黒字が増える産油国でも、戦争に伴う費用捻出のために対外投資の流動化を進める可能性が高まっている。これら貯蓄減ないしは取崩しに伴う金利高が金融資産の価格調整を招く、特に近年伸長が目立つ株式とプライベート・クレジットでの調整が新たな金融危機を招きかねない、という警告がエコノミストの間から発せられている。
しかし市場は楽観的だ。米株価S&P500はイラン戦争開始直後に8%下落したあと急速に回復した。昨年トランプ関税が発表されたときの25%下落とは対照的だ。市場の楽観の少なくとも一部は、AIによる生産性面での正の効果が戦争の負の影響を上回るとの期待に基づく。エコノミストの多くもいずれはそうなるとみているので、両者の見方の差は正の効果の発現までの時間の差といえよう。
金融面で先進国の民間部門に大きな過剰債務がみられないことも楽観の背景のひとつだ。もちろん、その裏側で公的債務は重い。しかしAIによる生産性向上が続けば財政が調整される余地は残されている。市場の楽観が崩れることがあるとすれば、AIの正の効果と公的金融の安定性の両面で失望が広がるときかもしれない。