コラム  2020.05.13

コロナ禍の向こうに

堀井 昭成

 2020年はコロナ禍が世界を覆った年として歴史に刻まれるだろう。102年前のスペイン風邪以来の大伝染病の蔓延、90年前の大恐慌以来の景気の落込み、それに対する未曽有の規模の財政金融政策の動員。これらが内外の経済、社会、国際関係に及ぼす影響に関する論考を、このひと月在宅勤務のさなかに(4月上旬~5月初め)沢山読んだ。日本と米国の経済については、バブル崩壊後とは異なり、B/S調整圧力が軽いので治療薬・ワクチンの開発とともに景気は急回復するという見方の一方で、コロナ禍が長引くにつれ企業・個人のB/Sが傷つき景気回復の重石となるとの見方がある。今後も含め大胆な財政金融政策の発動が国民を安心させるという意見の一方、感染症恐怖心と現金保有の安心感が根強く残るため消費者も企業も支出に慎重な態度を続けるとの予想がある。サプライサイドの視点からは、コロナがゾンビ企業の破綻を早めるので経済の新陳代謝が進むという見方の一方、自由経済の社会化が進みゾンビ企業までもが保護されることで、経済の生産性向上が妨げられるとの見方もある。いずれが正しいのか、決め手がない。

 そうした状況下、今後のマクロ経済に関する予測が多く発表されているが、空しい所作にみえる。第一、マクロ経済統計は現状から1、2か月遅れだ。5月上旬には精々3月までの経済に関するもの、つまり移動自粛が幅広く始まる前のものだ。そこで足元を推測で仮置きしたうえでモデル予測しようにも、各種データの落込み幅・率は未経験のものだ。したがって、モデル予測は標本データの域外への適用という禁じ手になる。そもそもコロナが何時どんな形で終息するのかさえ分からない。米国FRBが経済予測の公表をコロナ後控えているのも宜なるかな。

 ミクロ面では日本経済の発展に資する動きがみられ始めた。DXの加速だ。これまで一部関係者の反対で長く実現しなかったインターネット初診と薬処方が解禁された。規制面では押印義務や対面・面前での申請義務が見直されつつある。精巧なコピー機やスキャナーが市場にでて各種偽造が簡単になったのは既に数十年前だ。当時、銀行券の偽造対策はキヤノンなど世界の主要コピーメーカーの協力によって実施されたが、印鑑は未だに野放し。

 学校の9月入進学も可能性がでてきた。2011年に東大が一旦打ち出したが、どういう訳か尻すぼみになった。今回は大阪や千葉の高校生から上がった声がきっかけに国会論議にまでなっている。学校がいつ再開するか分からず再開後は夏休みや土曜日に授業して他の活動を犠牲にするなら、9月に揃えて始めてほしい、という。もっともだ。私自身、長く9月入進学を望んできた。理由は、よく言われる対内外留学の便宜化のみならず、夏休みを学年と学年の間に置くことで、米国の小中高生の間では一般的なスポーツ・キャンプ、音楽キャンプ、ボランティア活動などへの参加が日本でも容易になり、筆記試験に偏った教育を改善できるからだ。教師も夏休みの間担当がなくなり勉強の時間が取り易くなる。報道から知る限り、9月入進学への反対論拠は、就職や予算などへの影響が大きい、教育面で他に実施すべきことがある、の2つ。要するに「変えるのは面倒だ」しかないようだ。なお、就職については、従前財界から、4月一括採用から通年採用への移行を望む提言が出ていた。さて、変革への英断は如何にや。


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