コラム  2019.12.05

マイナス金利の背後に

堀井 昭成

 2019年夏、金利低下が世界的に進行した。日本国債10年物市場利回りは8月末には- 0.29%を記録し、その後いくらか戻したが11月初現在依然マイナスだ。ドイツなど北方ユーロ圏とスイスの国債はより深いマイナス利回りを記録し、年限をみても一時30年債に至るまでマイナスとなった。ユーロ圏では国債のみならず多くの社債までもマイナス金利だ。世界のマイナス利回り債券残高は一時17兆ドル(1,800兆円!)を超えた。これらの事実について、マクロ・エコノミストの大半は期待経済成長率の低下、とりわけ予想基調インフレ率の低下に帰している。正気か?各種サーベイのなかで中長期のインフレ率予想がマイナスのものをみたことがない。そもそも11年を超えるインフレ予想など寡聞にして聞いたことがない。

 マイナスの中長期金利は直観に反する。債券利回りは、物価で測る購買力の変化のみならず色々なリスクを体現するはず:債券発行体が債務不履行を起こすリスク、債券保有者が急に流動化する必要が出てくるリスクなど。これらリスクを加味してなお債券利回りがマイナスである事実をマクロ経済の先行きから説明しようとすると、よほど深いか長いデフレを前提にしないと説明不可能だ。実際は、債券投資家が中央銀行の操作するマイナスの短期金利の延長線上に、目先の上ないし下振れ予想を加えて短期的に売買する結果成立する市場均衡としか、私には見えない。専門家風にいえば、J.M.ケインズの美人投票、より厳密にはN次投機に基づく移ろいやすい市場均衡だ。その帰結を直截に問えば、いずれ崩壊する債券市場バブルが発生しているのではないか?

 昨今の円債ユーロ債のマイナス利回り深化には、米ドル流動性の逼迫も影響していると聞く。つまり、ドル流動性プレミアム高ゆえ、ドルベース投資家が長短金利スワップと為替スワップを組んで円債ユーロ債投資をすると、米国債投資に比べて高い利回りが得られる。このため、彼らの円債ユーロ債需要が高まったというのだ。流動性逼迫に関しては、米国大手銀行がドル供給を増やせば、こういう投資機会はなくなるはずだが、米大手行は金融規制ゆえB/S拡大に消極的であるため裁定が十分なされないともいう。振り返れば、2008年の世界金融危機以降、大手銀行の活動を制限する規制が多く導入・強化された。その結果、彼らが担うべき市場機能が低下するのに驚きはない。それでいいのか?

 一般的にいって、危機は予想しないところに発生するから大きな危機になる。この一般法則から窺えば、次の危機の発生源は米国大手銀行ではなかろう。金融危機後拡大したシャドーバンキングへの規制は比較的緩い。資産運用会社のなかには、管理する顧客の資産が数兆ドルにも上るものも複数ある。仮に何かのきっかけで(例えば2020年米国大統領選挙の展開)金利先高観が急速に市場を覆った場合、債券市場には売りパニックが起こるかもしれない。そのとき債券市場の流動性が急速に細るため、運用会社が顧客の指示通り債券を売却するのは簡単ではなかろう。債券が売れなければキャッシュが不足する。その結果支払い遅延がおこれば、当該金融機関に自己資本が十分あっても、市場では信用不安が高まる。この一つの想像で危機を煽るつもりは毛頭ない。ただ、マイナス金利の背後に、金融激動を招きかねない歪みが市場と規制の両面で放置されているように思えてならない。


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