コラム 2019.06.03
令和時代が始まった。改元を機に主な新聞・雑誌が平成時代を顧みて令和に臨む所論を発表した。その多くが「激動ないし発展の昭和の後、平成は停滞の時代だった」と総括した。経済停滞を招いた原因について、昭和終盤に発生した資産バブルが崩壊しその対処に時間をかけたこと、そして、冷戦終結後の情報・経済のグローバリゼーションを前にして、ビジネスも政治もそれぞれ合理化(人件費削減)と公共事業の拡大という従来のモデルに則した対処方策に終始したことに求めている。同感だ。昨年末このコラムに『いざ新時代へ』と題して、筆者も同様に述べた。ある主要紙の所論はそのうえで、令和に入って「健全な危機感と国難を乗り越えようとする意志こそが未来を開く」と締めくくっている。これにも同感だ。もちろん、気概だけでは発展できない。何をいかに為すかの具体的プランとその実現が不可欠だ。当研究所では、安全保障、財政、社会保障、農政、国際貿易経済政策などについて政策プランを提供してきた。
プランの策定は思考過程だが、その実現は政治過程だ。進歩や発展は多くの場合既存秩序の変化を伴うゆえ、それを嫌う人たちは発展プランの実現に抵抗しがちだ。決まり文句は「本当に必要なのか?」数年前にも本コラムで記したが、必要性の証明を条件とするところに進歩は乏しい。ライト兄弟もエジソンも必要に迫られて発明したわけではない。より最近でも、GAFAはもとよりパソコンですら学生というアウトサイダーの思いつきから始まり広まった。卑近な例になるが、1982年筆者が当時の組織で最初にパソコンを導入しようとした時も関係者から大反対された。曰く、「メインフレームの端末を使えるのに、不必要だ!」結局、後輩の私物パソコンを業務に使っていたところに偶々役員が通りかかり、パソコン導入が許可されることになった。私は既存秩序の破壊者disrupterだった。
秩序の観点から日本の歴史をみると、織田信長、豊臣秀吉は旧秩序を破壊して、安土桃山時代をきらびやかな経済と文化の開花に導いた。徳川時代となって当初は「平和の配当」ともいうべき新田開発によって高度経済成長を遂げたが、元禄バブル崩壊後は、朱子学を基礎とする世襲による身分の細分化・固定化(競争否定政策)と、質素倹約といった儒教的倫理を強要するいわゆる江戸3大改革(デフレ政策)が進められ、経済のみならず政治・社会も閉塞の度を強めていった。そして、戦争はなかったが自然災害が多発し飢饉の度に多くの餓死者がでる年月が続いた。17世紀初めには世界的にみて第一級の軍事力・経済力をもっていた日本が、19世紀半ばには世界の三流国となってペリー来航を迎え、やっと「危機感と国難を乗り越えようとする意志」が高まる。
平時において秩序変化への抵抗は強い。なにも産業に限ったことではない。福祉面でも、慈善charityであったものが既得権entitlementになっている。しかし、世界的に展開する大競争は明らかだ。改元を機に、秩序の変化を厭わない明るいエトスが広がることを期待したい。