コラム  2018.06.04

日本とアルゼンチン

堀井 昭成

「世界には4種類の国がある:先進国、低開発国、日本、アルゼンチン」。GNP統計の父といわれるサイモン・クズネッツ(1971年ノーベル経済学賞受賞、1985年没)が今から40年ほど前に言った言葉だ。


19世紀後半には経済的にも軍事的にも貧しかった日本が、半世紀後のベルサイユ体制下では世界5大国の一角を占め、その後第2次大戦を経て一旦最貧国となったあと数十年でJapan as No.1と評される経済大国となった。クズネッツにはユニークな存在と映ったのだろう。しかし彼の没後程なくして日本は資産バブルの発生を許し、そしてバブル崩壊後はその調整に手間取り、長期に亘り経済停滞に甘んじることとなった。


またクズネッツの没後程なくして、香港、台湾、韓国、シンガポールの飛躍的経済発展が明らかになった。いわゆるアジアの4虎(Asian four tigers)だ。因みに4龍(four dragons)と呼ぶ向きがいるが、個人的には4虎がしっくりくる!加えて虎クラ経済(Tiger Club economies)と称されるASEAN5大国、そして中国の経済発展が続き、世界の中で日本がユニークな経済発展を遂げたとは益々言えなくなった。


最近のシンガポールと香港の一人当たりGDPが日本のそれを、それぞれ5割、2割上回っている点からみると、日本はクズネッツ没後、彼の見立てとは異なり、経済停滞という意味でユニークな存在になった。


漸く今から5年前、大胆な金融緩和、弾力的な財政政策、成長促進型構造改革を柱とするアベノミクス政策が採用された。筆者は5年前のこのコラムで「新たな均衡点へ」、4年前「新しい均衡点へ第2幕」、3年前「新しい均衡点へ第3幕」と題して、政策の評価、批判の検証を試みたが、予想に違わず日本経済はデフレ均衡を脱して拡大均衡に向かった。


しかし、アベノミクスのうち構造改革政策については、展開の鈍さが心配だ。マクロ経済政策によって需給環境を改善させ、そのもとで持続的成長につながる制度変更、具体的には、労働市場の弾力化、許認可行政(農政、厚生、教育)の既得権益からの解放を行うはずだったが、成果に乏しい。政権からすれば、野党の抵抗やマスコミの的外れな批判故の遅滞かもしれないが、岩盤の抵抗はそもそも織り込み済みで、その打破のために政治的資本を使う計画ではなかったのか?


クズネッツが世界の例外と考えたもうひとつの国アルゼンチンは、20世紀初頭に世界で最も豊かな国のひとつであった。その後軍事クーデターと民政化を幾度か繰り返しつつ、第2次大戦後はとりわけ経済的衰退が顕著となり、この半世紀はほぼ10年毎に金融危機を迎えてきた。


実は危機の合間には「今度こそ改革の成功」と期待されたことも何度かあった。例えば私がブエノスアイレスを訪れた2000年代初頭、通貨のドル化とマネタリー・コントロールによる金融政策でインフレを克服し、同時に為替自由化による対内投資の活発化もあって、アルゼンチンは一時南米の優等生かと期待された。しかし、改革がマクロ経済面に偏り経済効率化を促す構造改革が進まなかった結果、一次産品の国際市況が軟化するにつれ国際収支赤字が目立ち、さらにドル化した債務が重石となって、結局債務不履行に追い込まれた。


「日本の失われた20年」の間、問題解決に必要な構造改革を先送りして経済体力をゆっくり疲弊することを指して日本化(Japanization)と国際会議の場で呼ばれることがあった。アベノミクスの第一弾であるマクロ政策の成功に続いて、上記の構造政策を本格的に実行することが求められる、日本化の汚名を濯ぐとともに日本が将来アルゼンチン化しないために。


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