コラム  2017.12.04

20年一昔

堀井 昭成

 1998年7月17-19日、マサチューセッツ州ケープコッドにおいて、日米の金融関係者百数十名を集めて、シンポジウムが開かれた。主題は、バブル崩壊で傷ついた日本の金融システムの立て直しと、銀行証券を巡るアメリカの金融制度改革。当時、アメリカの政権は日本での金融改革の動きの遅さにイライラを募らせていた。また、邦銀のニューヨークでの不祥事やアジア通貨危機の処理を巡っても、日米当局間に不信感が深まっていた。それらを背景に、政官財学各界から参加者を募り、本音の議論を通じて相互理解と信頼醸成を図るとの主旨から会議が開かれた。このため、大都会から離れた場所で週末2泊3日、大小の会議に朝昼夕の食事を含めて膝突合せ、額を寄せ合い議論することとなった。以後毎年秋に、開催場所を日米間で交替しつつ同じ様式で開催されてきた。そして、本年10月20-22日、遂に20回目のシンポジウムが開かれた。開催場所は小田原郊外、前日には東京で20回記念パーティーも開かれた。


 初回から今回まで企画運営にかかわってきた私の胸をいくつかの思いがよぎった。まず、会合での発言に関して、所謂チャタムハウス・ルールに則り、誰が何を言ったかを口外しない決まりが20年近く守られてきた。本音の議論を担保し信頼醸成を図るための決まりだが、政府高官、年によっては日米の閣僚クラスの出席もありながら、一度も発言が外部に漏れたことがなかった。参加者の質の高さ故当然といえば当然ながら、この順守に改めて安堵している。


 参加者にリピーターが多いことも、ルールが守られていることと相互に関係している。今や参加者の多くが常連となった。こういうと、気楽な会合ではないかと誤解されるかもしれないが、とんでもない。毎回会議終了後に公表される報告書をみれば、議論の真摯さは明らかだが、特に初回から5回目ぐらいまでの会合では批判の応酬が多く、気楽さとは程遠いものだった。しかし、2泊3日ホテルに缶詰め状態で英語のみで議論を続けるうちに、常連を中心に相互理解と信頼は深まっていった。当初アメリカの政治家・官僚からの厳しい批判にさらされた日本の金融関係者の中には、堂々と、さりとて肩ひじを張らず論を展開して信頼されるようになった人が少なくない。また、アメリカ人の常連の中にも2007-2008年の世界金融危機(GFC) 時に、日本人常連との信頼関係をさらに深めた人も多い。


 チャタムハウス・ルールで許される範囲内で記すと、今回、アメリカの元金融当局者から、GFC後のアメリカの政策は、日本の金融危機対応の成功と失敗を参考に立案されたと改めて聞かされた。マクロ経済政策のみならず、金融システム対策に関しても、例えば、2009年に大手米銀に対して一斉に実施され金融不安軽減に寄与したストレス・テストは、2000年代初めに日本で実施された特別検査を参考にして考案されたとも。


 現在日本が直面する問題である、人口高齢化に伴う社会保障制度の持続性の低下や公的債務の累増などは、他の先進国や一部の新興国でも早晩発生すると見込まれている。日本の対応が反面教師ではなく模範としてのちに広く語られるように、そんな解決策の策定に向けて当研究所の研究が寄与することを願っている。




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