コラム  2017.06.01

数百年に一度

堀井 昭成

 2007年夏の早朝、ベッドサイドにある携帯電話が鳴った。目覚ましアラームかと思って手に取ったところ、ニューヨークからの電話だった。「欧州銀行系のヘッジファンドの解約停止を受けて、欧州のインターバンク市場で流動性が干上がっている。国際金融市場の状況把握のため、米日欧の主要中央銀行の幹部数名で電話会議を早急に開きたい」とのこと。直ちに、その日のゴルフの約束をキャンセルし、夜半に始める電話会議に備えるべくオフィスに向かった。後に世界金融危機(Global Financial Crisis, GFC)と呼ばれる金融混乱の始まりであるとともに、その後何十回となく開くことになる、不都合な時間帯での緊急国際電話(ビデオ)会議の嚆矢でもあった。


 ことの発端となった米国のサブプライム住宅ローンについては、その数年前から不安視する声が聞かれた。なかでも、借り手が所得なし、仕事なし、資産なしでも借りられる、いわゆるニンジャ・ローン(NINJA = No Incomes, No Job or Asset)が異常だと。現に米連銀は民間銀行の与信規律に関する監督上の警告を発していた。にもかかわらず、ニンジャ・ローンを含む信用創造は拡大していった。振り返ってみて、ここにはマクロとミクロ両面での陥穽があった。


 マクロ的には米国、欧州、日本いずれの経済もGFC以前は順調に展開していた。そのもとで、米国では漸進的な(measured pace)利上げがなされ、日本では量的緩和からの脱出が進められていた。順調なマクロ経済と予想が容易な金融政策のもと、ある大手米銀行首脳は「音楽が鳴っている限りダンスを続ける」と公言し、信用創造に深入りしていった。


 創出された住宅抵当債権は投資銀行によって証券化され、さらに、格付機関、ABCPコンドュイ、モノラインといった信用補完機関を介在しつつ、世界中の投資家、とりわけ貸出・投資余力の大きい欧州の金融機関に売られていった。この金融仲介過程で、それぞれが金融工学に基づくモデル構築やリスク処理手法を利用した。それによって、投資リスクが個々の投資家にとっては、十分管理可能な範囲内に止まっていると信じられていた。


 2007年夏に信用仲介過程の一端が綻びると、与信の収縮はまさに連鎖的に進行していった。その過程で、金融工学の前提であったリスク量を遥かに超えるリスクが顕在化した。個々の金融機関からみれば、数百年に一度発生するリスクであった。


 あの夏から10年。今でも企業や金融機関の統合リスク管理(Enterprise Risk Management, ERM)上、「数百年に一度のリスク」想定がなされている。しかし、天災はさておき信用バブルについてみれば、近代資本主義成立以来、チューリップ、南海、金メッキなどという冠が付く大バブルが発生・崩壊してきた。ここ数十年に限ってみても、ラ米債務危機、東欧債務危機、S&L危機、日本・北欧バブル崩壊、アジア通貨危機、ITバブル崩壊と、10年以内の期間で大小の金融危機が起こってきた。


 筆者はここで次の危機を予告するものではない。ただ、10年前を経験した我々がいまだに「数百年に一度のリスク」では進歩がなさすぎる。マクロ、ミクロに加え、各要素の連環を明らかにするシステミックな分析を深めたい。




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