コラム 2016.06.02
2007年夏の世界金融危機発生から9年近く経った。危機発生直後は、金融システム対策に加え金融・財政政策の大規模な動員によって1930年代の「大恐慌」の再来をくい止めた。その後、多くの先進国で財政政策が巻き戻される中、金融政策面では量的緩和やマイナス金利など前例のない緩和手段が採られてきたが、世界経済の拡大力は依然力強さに欠ける。そこで昨今、金融政策は既に限界に達し財政政策の出番だという意見がまたぞろ出てきた。
またぞろと書いたのは、1990年のバブル崩壊以降日本では何度となく出てきた議論だからだ。現実にも過去四半世紀の間に財政による景気刺激が度々図られた。「真水X兆円の緊急経済対策」、「XXX減税」など華々しく打ち出された政策とその後の経済展開から得られた教訓は、確かに政策的刺激が加えられている間は経済活動が嵩上げされたが、それが終わると刺激効果は消え、そして、累増する公的債務が残った。
公共投資の需要誘発効果が小さいことに関しては、景気への即効性を求めるために、立ち退きなどに手間暇のかかるプロジェクトは避けられ、執行が簡単なものに重点が置かれたので、経済の供給サイドの向上につながらなかったと言われている。一部耐久消費財への減税に関しては、需要の先食いの反動が減税期限切れとともにでるのが明らかであり、効果の持続性をそもそも期待していなかったようだ。より一般的にいえば、一時的に財政支出や減税がなされても、日本の厳しい財政事情故にほどなく巻き戻されるのが確実視されるため、民間支出を誘発する効果が乏しいのかもしれない。
最近の事情とは対照的に、1931年12月に再度大蔵大臣に就任した高橋是清による財政拡張施策は、その後の持続的経済成長をもたらした成功例と言われている。高橋財政と言えば、日銀の国債引受けが思い起こされるが、日銀は一方で債券売却によってマネーサプライへの増加効果を中立化していたとも言われている。昨今、ヘリコプター・マネーと称して、財政支出拡大の中央銀行による直接ファイナンスを唱える向きもあるが、高橋財政の実態はより巧妙だった。
高橋財政の成功の鍵は、政策の持続性への信認にあるとみられる。つまり、財政支出拡大のほぼすべてが時局匡救事業費、満州事件費、兵備改善費で占められていたので、民間にとって財政プログラムの展望が描きやすく、このため当時黎明期にあった重化学工業の成長の原動力となったと考えられている(ご関心の向きは、日本銀行月報1996年6月号掲載「1995年度の金融および経済の動向」第3章を参照)。
誤解なきよう、筆者は必ずしも軍備拡大を唱えるものではないことを断ったうえで、財政拡大が経済成長を高めるには、政策の持続性への期待が重要であり、そのためには政策の合理性についての信認が不可欠である。当研究所では、農業、医療、社会保障など財政に直結する分野について、政策の合理性を厳しく吟味して施策の選択肢を提示し続けていきたい。