コラム  2015.12.21

意味論とシミュレーション

堀井 昭成

 2015年中、日本の政策に関する最も大きな出来事は、平和安全法制の成立とTPPの大筋合意であろう。平和安全法制を巡っては長い時間国会で審議された。嫌味な言い方をすると、聖徳太子時代の価値基準であった十七条憲法の一条「和をもって貴しとなす」、十七条「必ず衆とともに宜しく論ふべし」が千四百年を経て日本社会に定着していることがよくわかった。多くの人が長く議論すること自体に価値をおく一方、結論にはさほど拘らないようだ。

 議論の中身についても、定義や様式に関わる議論が長かった。典型的なのは憲法9条違反の疑いに関するものだ。憲法9条違反の疑いで思考が停止して、安全保障面での効果、機能、影響についての吟味を端折った感がある。1840年アヘン戦争で清が英国に打ち負かされたことを知りながら、徳川幕府は精々1842年に薪水給与令を出しただけで海防にも力を注がず、そして1年前にオランダから警告を受けながら無為に1853年ペリー提督来航を迎えた。この不作為の背後には「鎖国が祖法である」から、それ以上考えないという幕府指導部の姿勢があったという。また嫌味な言い方をすると、憲法9条も祖法なのか。

 日本では議論の多くが意味論(semantics)に陥りやすく、こうしたらこうなるといったシミュレーション思考に乏しい。これは、日本語に時制の感覚が乏しいことと関係していると私はみている。そんなことはないという人は、次の一文を見てほしい。「今日はいい天気だ。だから朝気持ち良くジョギングした。」これを逐語訳すると、It is fine today. Therefore, I jogged comfortably in the morning. なんか変だぞ!実は、過去何十年もの間、私はこの手の英文に悩まされてきた。日本語の論理で言えば、今朝も今日に含まれるので、この文で問題ないのだろう。しかし、現在形で書かれた文の結果として過去形が来る英文を読まされると、私の頭は混乱して不安定になる。The weather was so good this morning that I enjoyed jogging. なら落ち着く。英語以上にフランス語は時制に厳格だ。

 Granger causalityという概念が経済学にある。事象Aが起きた後に事象Bが頻繁に起これば、AがBの原因であるとみなす。欧州言語における論理には時間的な前後関係が大事な要素なので、Granger causalityは自然と理解しやすい。これに対して日本では意味論、あるいは全体と部分の関係を整理する集合論的思考が多い。そういえば、35年前に読んだ本のなかで、欧州的思考は→(一方向の単線)、アジア的思考は渦巻き型で表されていた。因みに中国語には未来形がなく、過去形もあることはあるが、日常会話では現在形が多用される。知人からタイ語には過去形がないと聞いた。

 過去から現在を踏まえて未来を眺める感覚に日本のみならず中国でも乏しいとなると、心配が増す。振り返ってみてお互いが想定しなかった事態を迎えないように、アジア言語であっても、将来のシナリオを作りシミュレートする癖をつけたい。


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