コラム  2015.07.02

新しい均衡点へ 第3幕

堀井 昭成

 日本経済の拡大が一段と明確になってきた。「日米とも経済的に望ましくない状態からより望ましい状態への移行が進み始めた」とこのコラムに書いてから2年、今や日本の労働市場は20数年ぶりの逼迫状態、企業収益はマクロ的には既往最高だ。企業行動面では、以前は概してコストダウン中心の守りの姿勢が強かったが、最近では実物投資、資産運用、M&Aの面で「計算されたリスク」を積極的にとる姿勢が格段に強まっている。そして、1年前にこのコラムで予想したように、時代精神も変化してきた。デフレ下の支配的エトスであった沈思・守備・諦観から、「考えて動いてまた考えて動く」という思考と行動の相互作用を貴ぶエトスが広がりつつある。日本経済も社会もデフレ均衡から脱却し、新しい均衡点に向かっている。

 こうしたもとでさすがに、アベノミクスへの批判の声は幾分後退した。なかでも、大胆な金融政策については、当初その効果を疑問視する声が強かったが、QE(量的緩和)が最初は米国で、続いて日本で実際に景気拡大をもたらすにつれてその声は収まってきた。2年前に想起したメカニズム、異次元緩和→デフレ予想の転換→実質金利の低下→レバレッジの上昇+リスクテイク増加→経済成長が現実に働き始めたからだ。

 にもかかわらず、QEには依然批判が少なくない。株や債券といった資産の価格がQEによって人為的に高値で支持されているので、①市場機能を歪める、②バブルなのでいずれ崩壊して経済に酷いデフレ影響を及ぼす、逆に③金融引き締めが適時にできず高インフレを招く、さらには④金利が高めの新興国に資本流入しこれらの経済運営を難しくしている、といった批判だ。

 それぞれ経済学的あるいは政治経済学的考察が加えられるべき論点ではあるが、この短いコラムでは触れず、次の点のみ述べたい。仮にそれらの論点が正しくとも、「ではQE以外に何をすればよいか」という代替案なしに批判をしても、それは単なる愚痴に過ぎない。QEをしなかった場合、今頃米国でも日本でも景気は停滞していたか、少なくとも拡大力は弱かっただろう。日本の場合は、従来の円高・株安を含むデフレ均衡が続くもとでリスクテイクが抑えられて経済が長期停滞していた蓋然性が高い。そして、それらを人口減少と老齢化のせいにする退嬰の風が一層はびこっていたと想像に難くない。

 安全保障をめぐっても、代替案のない批判が少なくない。アジア太平洋を巡る日本からみた安全保障環境が変化するもとで、何かをしようとする政策に対して「するな」だけでは現実の政策論議にならない。そういえばビジネス界にもこんな言葉があった。Don't find fault. Find a remedy! (Henry Ford)

 外交、農業、医療、エネルギー、財政赤字と公的債務、経済制度、税務などについて、当研究所では現行政策の支持・反対にかかわりなく、常に代替案を提起し点検する建設的な議論を進めたいと考えている。


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