コラム 2014.12.15
テニスプロ錦織圭が全米オープン、ATP Finalsで素晴らしい活躍をした。週末プレーヤーの私もワクワクしながらテレビ中継をみた。来年、一段の活躍を期待したい。
テニス中継をみていて、雑多なことが頭に浮かんだ。まず、テニスのレッスン。錦織は中学生の時にフロリダのテニス・スクールに移住し、そこでのレッスンを通じて世界的プロテニス選手になった。フロリダでの的確な指導、競争的な環境が彼の大成を導き出したのだろう。
恥ずかしながら、私は大阪と東京以外にスイスのバーゼルとアメリカのフィラデルフィアとニューヨーク郊外でテニスのレッスンを受けた。31年前、バーゼルの国際機関に着任した私は、業後郊外にあるテニス・コートでレッスンを受け始めた。先生の名前はFrau Purek、元チェコの女子チャンピオンだ。
ウォーミング・アップ後ラリーを始めて10分程したら、彼女が「それじゃ駄目」という。私は、彼女の打ってきた球を彼女めがけて、出来るだけしっかりした重い球で打ち返していたつもりだったのに、駄目という。「自分のいない場所か、走る方向の逆をついて打て」という。しかも、いちいち考えないで、瞬時に判断して打てという。そうすれば、いずれ直感的にそうできるようになるとも。なるほど、彼女がホームセンターなどにある大型ショッピング・カート一杯のテニス・ボールを用意している訳が分かった。打ち返せないところに打たせるのだから、当然ボールは沢山いる。レッスンを受けて数ヶ月、確かに強くなった。
ところが、日本に帰って半年もすると、また弱くなった。ラリーで相手の正面に打ち返す癖が戻ってしまったからだ。日本ではそうしないと、礼儀知らずという冷たい視線を受ける。しかし、試合中咄嗟に相手の正面に球を返していては、当然負ける。さらに、日本のテニス・レッスンでは、生徒が練習の合間に球拾いをしなくてはならない。当たり前のことだが、球拾いをしてもテニスは上手くならないし、いわんや強くならない。と思っていると、テレビで球拾いを美化するお話のCMが流れていた。日本ではテニス・レッスンの目的が、テニスに強くなることではなく、礼儀作法の習得にあるようだ。
ニューヨーク郊外に住んでいた15年前、家から車で数分のところにテニス・スクールがあった。コーチの名前は、Omer。聞くと、かつては男子世界ランキング20位以内にいたようだが、数年前に60位以内から落ちたのでこのクラブのコーチになって事実上現役を退いたとのこと。60位以内のプレーヤーにはスポンサーがついて用具、ウェア、旅費などの面倒をみてくれるが、そこから落ちるとプロの生活は様変わりに厳しくなるらしい。テニスのトーナメントをみても、トッププロが最初の数試合は楽に勝ち上がるような組み合わせになっている。いずれも、優秀な選手に最高の環境で高みを極めさせようとするシステムだ。
日本の教育、人事、税制などのシステムは、従来は強きを挫くことで平均化を図るものであった。スポーツ、学問、ビジネスの日本人トッププロが世界で活躍するのはうれしい。しかし、海外でしか活躍できないのなら、ひどく寂しい。