外交・安全保障グループ 公式ブログ

キヤノングローバル戦略研究所外交・安全保障グループの研究員が、リレー形式で世界の動きを紹介します。

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2022年5月9日(月)

デュポン・サークル便り(5月6日)

[ デュポン・サークル便り ]


気がつけば早くも5月。じわじわと湿度が上がってきているのを実感する日が増えてきました。ワシントン特有の「hazy, hot, humid=うだるような蒸し暑さ」な季節が、気がつけばすぐそこまで来ています。日本の皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

今週のワシントンは、内政が大揺れ。特に、最高裁に激震が走っています。ことの始まりは、52日に、政治専門誌「ポリティコ」が、女性の妊娠中絶は合法というこれまでの最高裁の判断を、今年、最高裁がひっくり返す可能性を強く示唆する判決文のドラフト全文をスクープしたことでした。

女性による妊娠中絶の権利は、宗教観も絡み、アメリカを2分する社会問題です。1973年に最高裁で争われた、「Roe v. Wade」として一般的には知られる訴訟の中で、最高裁は「米合衆国憲法は、政府による過剰な介入を受けることなく女性が中絶を選択する権利を保障している」という判断を下しました。当時の米国では、まだ多くの州で、妊娠を継続させた場合、母体に深刻な影響が及ぶと判断される場合を除いて中絶手術は違法とされていたため、アングラの中絶手術でトラブルが発生したり、中絶を希望する女性が、合法的に中絶手術ができる州をめざして越境したり、という例が後を絶ちませんでした。さらに、強姦や近親相姦のようなケースでも中絶手術が認められないケースが頻発していたため、女性が妊娠中絶を選択する権利は憲法で保障されている、とした「Roe v. Wade」の判決は、女性の権利を象徴するものとなっています。

ですが、ここ数年、共和党知事が州知事を務める州で、妊娠中絶を制限する法律が各州レベルで施行されるようになり、懸念を生んでいました。さらに、トランプ政権の4年間で、保守派の判事が最高裁の多数派を占めるようになったことから、「Roe v. Wade」判決がひっくり返されるのではないか、という懸念が広がりつつありました。そこに今回のスクープです。「ポリティコ」誌にリークされた判決文草案は、ブッシュ政権時代に最高裁判事に指名された保守派のサミュエル・アリート判事の手によるもの。草案では、中絶に関する規定を定める権限は、連邦政府ではなく各州にあるという趣旨の判決文案が記されていました。

この内容に、全米の女性の権利活動家を含め多数の人が「妊娠中絶は合法であるとする流れが世界の潮流になりつつある中で、時代の流れに逆行するもの」として猛反発。草案の内容が「ポリティコ」誌を始め全米のメディアで拡散し始めた直後から、最高裁前には多数の人が押しかけ、連日の抗議活動が続いています。

バイデン大統領も54日に記者団の前に姿を現した際に、「長年認められてきた女性の選ぶ権利が制限されてしまうようなことになったら、次に制限の対象になるのはどの権利だろうか」と強い口調で反発。その前日の53日に、女性候補の擁立を通じて女性の政治参加を拡大させることを目指す団体の「エミリーズ・リスト」が主催した会議で基調講演を行ったハリス副大統領も、演説の中で「一部の共和党政治家は、女性の権利を政治的兵器化しようとしている。私たち女性が自分たちの体について行う判断に制限をかけようとするなんて!」と怒りをあらわにしました。

ですが、そもそも、最高裁判事による議論や、判決文の草案は秘密厳守が絶対。共和党側はそこを問題視し、判決文草案のメディアへのリークが「リベラル派が最高裁判事に圧力をかけるために、政治的な意図をもって行われたもの」と、こちらも激しく反発。この問題は、当面、鎮静化しそうにありません。

そんな中、54日に行われたオハイオ州上院議員選共和党予備選では、トランプ前大統領の支持を取り付けた政治経験ゼロの作家が本選候補に選出され、トランプ前大統領の共和党内での影響力がまだまだ強いことを窺わせました。ウクライナ情勢に出口が見えないまま、ワシントンはすでに政治の季節に入りつつあります。


辰巳 由紀  キヤノングローバル戦略研究所主任研究員