メディア掲載  エネルギー・環境  2024.02.14

再生エネ、化石の経済性超えられず

日本製造2030(20)

日刊工業新聞(2024131日)に掲載

エネルギー・環境

温暖化対策は安価な技術で

「石器時代は石がなくなったから終わったのではない」。この言葉は、1973年に世界的な混乱をきたした石油ショックの立役者で知られるサウジアラビアのアハマド・ザキ・ヤマニ元石油相のものである。

当時、イスラエルとアラブ諸国の間で第4次中東戦争が起きて、サウジアラビアは「石油戦略」を発動、石油を減産した上で、イスラエル支持の国々に対して石油の輸出を禁止した。慌てた日本政府はサウジアラビアへ特使を派遣し、輸入の継続を取り付けた。

その後、ヤマニ氏の言葉は、温暖化対策、なかんずく太陽光発電や風力発電の推進者によって引用されてきた。化石燃料も、その枯渇を待つことなく、やがて時代は終わる、というわけだ。

それで世界諸国は、化石燃料利用を規制し、また太陽光発電・風力発電などを巨額の予算によって大量導入してきた。だがその結果はどうか。今でも、世界における脱炭素はなかなか進まない。化石燃料消費量は増え続け(図1)、二酸化炭素(CO2)排出量も増え続けている。図1を見ると、今なお世界のエネルギー消費量の8割以上は化石燃料が占め、しかもその量は増え続けていることが分かる。

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なぜ化石燃料の使用は減らないのだろうか? 石器が使われなくなった理由は、石器を政府が禁止したからではない。石器が使われなくなった理由は、それより優れた技術が登場し、石器が必要なくなったからだ。鉄器は、鋤(すき)や鍬(くわ)などの農具の性能を飛躍的に高めた。戦争においても鉄器は石器を圧倒した。

つまり化石燃料時代が終わるとすれば、それは、化石燃料より優れた技術が登場し、化石燃料が不要になったときだ。あるいは、そこまでいかなくとも、化石燃料に競合し得る十分優れた技術があれば、化石燃料の使用を規制することもできよう。硫黄酸化物などによる公害問題は、安価な対策技術ができたことで解決した。

だが今のところ、化石燃料を完全に代替するような、安価で、かつ世界諸国で広く使うことのできるエネルギーは存在しない。このため、現実には、先進国の2050年までの脱炭素はおぼつかない。

もちろん原子力発電に一気に舵を切れば、発電部門からのCO2についてはほぼ脱炭素ができることになる。しかしこれには多くの国で政治的な反対が根強い。また核拡散の心配もある。大型の水力発電は安価だが、開発される地点の数に限界がある。日本では、経済的に開発できる地点は、ほぼ利用され尽くしてしまった。

50年脱炭素程遠く・・・目標見直しを

太陽・風力などの間欠性の再生可能エネルギーは、発電していない間は既存の発電設備に頼らざるを得ない。結局のところ2重投資になり、電気代はかさむことになる。ドイツやデンマークは、再生エネ導入量は多いが、そのせいで電気代が高い。

木材チップやソルガム(コーリャン)などのバイオ燃料も現状では化石燃料よりはかなり高価である。技術開発次第で化石燃料に近いコストになるかもしれないが、世界中のエネルギーを供給するとなると、広大な面積が必要になるため、生態系保全などの観点から政治的な反対が強まるだろう。

また、CO2の排出源としては、発電所以外の、工場やオフィスにおける化石燃料の直接燃焼の方がはるかに大きく、発電所の倍以上はある。鉄やセメントを生産するための石炭、プラスチックを生産するための石油やガス、工場におけるボイラで使う石油やガスなどだ。これの脱炭素をするには多くの場合、費用がかさむため、これもあまり進まない。

一方で、化石燃料の最大の敵はこれまで何だったかというと、実は化石燃料自身だった。石油ショック後50年にわたり、石油価格が高くなり過ぎることのないよう、サウジアラビアが主導して、石油輸出国機構(OPEC)はたびたび減産し、価格を調整してきた。高過ぎる石油価格は、代替的なエネルギーや省エネの開発を促すのみならず、ライバルの産地の石油に負けることも意味するからだ。ところが、ここのところOPECは価格維持のために石油減産をしてきたにもかかわらず、それ以上に米国が石油を増産して空前の生産量となり、OPECの努力を打ち消してしまった。

また近年、先進7カ国(G7)はCO2削減のためとして石炭火力発電を目の敵にしている。だが、中国、インドをはじめとするグローバルサウス(南半球を中心とする新興・途上国)は石炭の開発・利用を進めている。なぜなら、最も安価なエネルギーだからである。

英国、ドイツ、米国など、欧米では石炭火力発電は軒並み減少してきたが、最大の理由は、天然ガス火力発電に経済性で負けてきたからだ。要は化石燃料の中で代替が起きているだけで、化石燃料が負けたわけではない。

図2を見ると、欧州連合(EU)と米国では産業の空洞化に温暖化対策が重なってCO2排出量は緩やかな減少傾向にある。だが中国、インド、およびその他の国々ではCO2排出量は大幅に増え続けていることが分かる。

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このように、ある化石燃料利用を禁止する試みは、別の化石燃料利用に終わるという、いたちごっこを繰り返してきた。化石燃料に代わる、安価で安定した優れたエネルギーこそが、化石燃料の時代を終わらせる。それは原子力、それから省エネ技術や電化技術の中にある。これでいくらかはCO2を減らせるだろう。

だが、50年になってもCO2がゼロになるには程遠いだろう。50年にCO2排出量ゼロの目標は極端過ぎるので見直しは必至である。

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脱炭素は目指すだけでもコストがかさむ

先進国と途上国の団結遠く

今世界は、温暖化対策の現実的な解決策を議論できなくなってしまっている。「産業革命前に比べた世界の平均気温上昇が1.5度Cを超えると破局する」という極端な気候危機説と、これまた極端な「50年脱炭素」目標が掲げられ、それがポリティカルコレクトとなってしまったせいである。

それで気候変動枠組み条約締約国会議(COP)における毎年の国際交渉の構図はと言えば、先進国は途上国にも50年脱炭素を宣言するように迫り、途上国は拒否している。途上国は先進国に年間1兆ドル(150兆円)という途方もない額を拠出するよう迫り、先進国は拒否している。

50年脱炭素は実現不可能であるのみならず、それを目指すだけでもコストがかさむ。23年には英国、米国、台湾など、世界各地で洋上風力事業からの相次ぐ撤退が報じられ、米国では再エネなどのグリーン銘柄の株価が崩壊するなど、既に「脱炭素疲れ」の様相になっている。50年に脱炭素が達成できなくても、地球の平均気温が現在より約0.5度C上がって産業革命前からの気温上昇が1.5度Cになったとしても、それで世界が終わるわけではない。行き過ぎた気候危機説が間違いであることは、新しくIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の議長に就任したジム・スキー氏も戒めている。

ただし、化石燃料については、それが枯渇する前に使用を止めたほうがよいのは確かなようである。化石燃料、特に石炭は豊富にある。現在の埋蔵量は、年間消費量の200年分を超える。この化石燃料が全て大気中に放出されるとなると、かなりの気温上昇が起きる可能性があるので、これは避けたほうが良さそうだ。

その一方で、緩やかな地球温暖化であれば、それほど大きな問題は起きそうにない。過去150年に1度C程度の気温上昇が起きたが、よく報道されるような「自然災害の激甚化」も「生態系の破壊」も統計では確認できない。むしろ化石燃料を活用したことで経済成長を謳歌(おうか)することができて、人類はかつてなく、健康で長生きできるようになった。

すると現実的な解決策としては、気温上昇のペースをこれまで程度の緩やかなものにとどめること、そして化石燃料を使い尽くす前に、それよりも安価な代替エネルギーを開発して、化石燃料が必要ない世界にすることである。これは実現可能な目標である。


核融合“切り札”に

このためには、核融合が切り札になる。日本は核融合に関しては世界の先端を走っている。日本単独で核融合発電を実現するだけの技術力も有している。いま2兆円を投資して「原型炉」を建設すれば、50年の実用化が視野に入る。

一方で、現行の日本政府のグリーン・トランスフォーメーション(GX)計画では、今後10年間で官民合わせて150兆円もの脱炭素投資をするという。その内容は今検討されているが、もしもこれが高価な技術しか生み出さないのであれば、結局、世界の化石燃料利用を代替するに至らず、徒労に終わる。目標は、日本のCO2の量や技術の導入量ではなく、世界で通用する安価な化石燃料代替技術の開発とするべきだ。