メディア掲載  グローバルエコノミー  2022.07.21

国連、G20等が直面するルールに基づく秩序形成の限界

モラルに基づく規範の共有化が必要、その主役は「民」

JBPressに掲載(2022年7月20日付)

国際政治・外交 米国 中国

1.ルールに基づく国際秩序形成の限界

本年(20225月、ジョー・バイデン大統領の初訪日に際して、日米首脳共同声明が発表された。

両首脳はその中で「ルールに基づく国際秩序」を重視する姿勢を強調した。

しかし、近年のグローバル社会の重要課題を振り返ると、ルールがあっても国家間で合意が成立せず、国際秩序形成のために必要な施策を実施できないケースが目立つ。

例えば、ロシア軍のウクライナ市民に対する非人道的攻撃に対して、安保理常任理事国のロシアが拒否権を発動したため国連の非難決議が出せなかった。

コロナ感染の急拡大に際しては、米中対立を背景に国連の世界保健機関(WHO)が機能せず、感染拡大防止に効果的な国際協力体制を構築できなかった。

既存のルールがうまく機能しなくなった世界貿易機関(WTO)や北大西洋条約機構(NATO)などにおいてルールを改正しようとしても、代替案として提示されたルールに関する合意形成ができず、改革が先送りされているケースも少なくない。

国連、G20G7WTOEUなどは、国家間合意形成の難しさを背景にいずれも機能不全に陥っている。

以前はそうした国家間対立が先鋭化した場合には、米国がリーダーシップを発揮し、合意形成を促進してきた。

しかし、ドナルド・トランプ政権が「アメリカ・ファースト」という自国利益優先の大方針を掲げたため、米国のリーダーシップが大幅に低下した。

それとともに、国際的なルール形成が一段と難しくなりグローバル社会は不安定化している。

以上から明らかなように、世界が多極化に向かう中、国家間の合意に基づくルールに依存するこれまでの世界秩序形成は限界に来ている。

その主因は、イデオロギーや価値観が異なる国家間での合意形成が困難なため、問題解決のために有効なルールを決めることができないことにある。

2.国内問題でもルールが機能不全に

国際社会の秩序のみならず、主要国の国内問題に目を向けると、ここでもルールに基づく秩序形成がうまく機能していないことが多いことに気づかされる。

バイデン政権下の米国社会は、人工妊娠中絶、銃保有規制、人種差別などに関する意見対立をめぐり社会の分断が深刻化している。

最近では異なる党派の米国民同士が武器を持って殺し合うという内戦リスクを懸念する人々の比率が国民の44%に達したという世論調査の結果まで発表された(61日、The Southern Poverty Law Center)。

このように民主主義制度の定着した先進国では信じがたい状況に直面している。

この間、日本自身も様々な難題に直面している。

幼児虐待、企業、学校などの組織内で続く各種ハラスメント、政治家の不正行為や税金の無駄遣い、日本の経営者や若者のチャレンジ精神の低下など、連日のように人権侵害やモラルの低下の事例が報じられている。

企業や政府機関等ではコンプライアンス、ガバナンスなどルールを強化し、組織を規律しようとしてはいるが、うまくワークしていない。

ここにもルールの限界の問題が存在している。

企業や組織がルールを作っても、その目的が単に「アリバイ作り」や「やったふり」に過ぎないことが多い。

経営者やリーダーの、直面する課題に対する当事者意識が不足しているため、問題の本質に誠実に向き合い、利他の精神に基づいて社会や地域のために貢献しようとする根本的な姿勢が不十分であるためである。

このように国際社会を見ても国内問題を見ても、ルールに基づく秩序形成が重んじられているが、それだけでは世界、国家、地域、組織等の健全な秩序形成を図ることができなくなっているのは明らかである。

3.ルールを補完する規範、モラルの共有

機能不全に陥っているルールに代わるものはないが、これを補完する役割を期待できるのはモラル=道徳である。

本来ルールの上には規範がある。

規範というのは、ルールに定められていないことでも、人間のモラル、道徳心、良心といった根源的な人間本来の理性に基づいて判断し行動する際に、心の軸や物差しとなるものである。

具体的には、思いやり、正義を貫く勇気、相手を尊重する礼儀やおもてなしなどである。これらは人間性という言葉でも表現される。

ルールに決められていなくても、目の前に苦しんでいる人がいれば助ける。悪事が行われていれば見て見ぬふりはせずに立ち向かう。

人々がルールに定められたことを守る以外は常に自分一人の利益を優先して行動すれば、人間社会は殺伐としたものとなり、全員が不幸になる。

逆に、ルールに定められていないことでも人々が利他の精神に基づいて行動し、他者を思いやり、正義を重んじて行動し、相手に対する尊重、おもてなしなどを実践すれば社会は明るくなり、幸せを感じる人が増える。

このようなルールを超える人間本来の理性、あるいは人間性を心の軸や物差しとして自己規律や社会規律の基準とするものが規範である。

人々が規範を重視すれば社会が明るくなることは言うまでもない。儒教では仁義礼智信、仏教では慈悲心などを重視するが、それらは規範の代表例である。

4.価値観の異なる人々による秩序形成

ルールは一定の価値観を共有し合う人々の間では機能するが、異なる価値観、イデオロギーをもつ人々の間で共通のルールを形成することは難しい。

国連やG20などにおいてルールを定めようとしても合意形成ができない多くの理由もここにある。

しかし、価値観やイデオロギーが異なっている国家や民族の間でも、時代とともに相互理解が進み、やがて相互信頼が生じて、規範を共有する基盤を形成できるようになることを歴史は示している。

今から400年以上前、徳川幕府が成立する直前には、大阪の豊臣家と名古屋の徳川家の家臣やそれぞれを支援する藩が二つに分かれて互いに殺し合った。

20世紀前半には欧州諸国同士が2度の大戦を戦い、日本と米国は太平洋戦争に突入した。両大戦ではウクライナ戦争の比較にならないほど多くの犠牲者を生んだ。

しかし、いま、日米欧民主主義諸国間で戦争をするなど誰も考えない。ましてや日本の中で大阪と名古屋の人々が殺し合うことなど想像すらできない。

これは規範の共有が可能となり、互いの命を大切にする理性が共通基盤となった結果である。

これを可能にした要因は、価値観、イデオロギー、政治経済・軍事的利害が鋭く対立していた関係が変化し、価値観や経済的利害を共有するようになったためである。

価値観やイデオロギーの違いによって鋭く対立していても、技術やサービスの発展とともに、交通・通信、経済交流など人々の往来が徐々に活発化するにつれて相互理解が進み、相互信頼関係が生まれる。このような人間関係の構築の拡大がそうした根本的な変化をもたらした。

そうした歴史は、現在の国際秩序の不安定化を改善するには、交通・通信、経済交流など人々の往来を活発にすることが重要な対策であることを教えている。

これは国家が動かなくても、民間企業、NGO、大学、個人など「民」non-state actorsが自発的に推進できる。

コロナの感染拡大前は、中国から年間約1000万人の観光客が日本を訪問していた。

この中国の人々が、日本各地で日本人の中国に対する感情を和らげた。日本人にとって日本が好きでリピーターとして日本を何度も訪問する中国人を嫌いになることは難しい。

そこから徐々に相互理解と相互信頼が育まれていく。

イデオロギーや国家体制の異なる国家間においては、合意形成が難しく、ルールに基づく秩序形成が行き詰まることが多い。

しかし、「民」が主体となって価値観の共有が可能となるような交流圏が形成されれば、そこにルールを超えた共通の規範が共有される土台が形成される。

その土台が形成されれば、モラルの最もベースとなる部分として、互いに人間の命を大切にするという規範を共有できる可能性が高まる。

さらには、その命を育む地球を大切にする、命の範囲を人間だけに限定せず、動物や植物も大切にするというところに行きつくのは自然である。

これが現在の民主主義先進諸国の間で戦争がなくなり、地球環境を重視するようになった根本的な要因である。

5.高度な規範共有促進に必要な教育

しかし、もう一つの問題が残っている。それは価値観やイデオロギーを共有する国内、組織内にいるにもかかわらず、様々な問題が絶えず発生していることである。

この課題に対処するには、規範の中身をより高度にする必要がある。上記で述べた基本的な規範共有の中身は命を大切にするということだった。

価値観を共有する組織内の問題を改善するにはもう一歩進んで、他者を大切にするという規範の共有が必要である。

その具体例が、仁義礼智信や慈悲心といった東洋思想の代表的な規範概念である。

より高度な規範の共有を促進するには、「民」が生み出す自然発生的な信頼関係だけでは不十分であり、教育を通じたモラル=道徳の共有が必要になる。

近代以前、多くの国や地域においてその規範教育の役割を担っていたのは宗教だった。

ただし、キリスト教やイスラム教などの一神教の場合、他宗教の人々を排除するため、宗教間で戦争が起きやすかった。

宗教でも互いの違いを受け入れる多神教であれば規範の共有を実現しやすい。その性格を持つ宗教思想が東洋思想である。

東アジアで発展した東洋思想の主な宗派としては儒仏道禅神(儒教・仏教・道教・禅・神道)の5つがある。

そのうち儒仏道禅は中国から日本に伝わったもので、神道は日本独自の発展を遂げたものである。

これらの東洋思想の各宗派は相互に助け合って発展してきたため、1つの国の中に複数の異なる宗教思想が共存している。

この関係が成立していればイデオロギーや価値観が異なる人々の間でも規範の共有が可能となる。

以前はイデオロギーや価値観の異なる国家や民族間の紛争解決の最終手段は戦争だった。

しかし、グローバル化が急速に進んだ現代社会において、戦争という手段を解決策として使うべきではないという考え方が広く共有されるようになった。

それは国家を超えた人々の交流の活発化が相互理解と相互信頼を生み出し、互いの命を大切にするという規範の共有ができてきたためであると考えられる。これはグローバル化がもたらしたメリットである。

しかし、グローバル化の進展とともに国家間の関係が緊密化し、そこから生じる複雑な課題に関しては国家間の合意形成がますます難しくなっている。これはグローバル化が生んだ新たな問題である。

この現状を打開するには、規範共有のレベルを高度化し、東洋思想相互間で見られるような、異なる思想を許容し、互いに助け合って補完し合う関係を形成することが必要である。

以前であればそれは教会や寺院がその役割を担った。

現在のグローバル社会においてそれを担うのは国家の制約を超えることができる「民」、すなわち企業、大学、NGO、シンクタンク、個人等である。

「民」の有識者がそれぞれの専門領域において自発的に課題に取り組むグループを形成し、異なる価値観やイデオロギーの間でも相互に許容し合い補完し合う規範の共有化を図っていく。

民間組織であるため、国家のような強制執行力がないことから、規範共有には時間がかかる。

しかし、ソーシャル・メディアのような新たな技術やネットワークを活用すれば、その輪を広げていける可能性は高まる。

何よりも大切なことは、安定した秩序形成という目標を達成するまで規範共有のために努力する人々の協力の輪を拡大し続けることである。