コラム  エネルギー・環境  2021.09.15

一世紀を見据えたエネルギー戦略を

エネルギー・環境


1. IPCC
6次評価報告書

気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、気候システム及び気候変化の自然科学的根拠の究明を更に深化させた。89日に公表された第6次評価報告書においては、温室効果ガス濃度の1750年以降に観測された増加は人間活動によるものであることは疑いようがなく、その増加によって1-2℃の温暖化がもたらされた一方、エアロゾル(大気中に浮遊する塵)の増加や土地利用の改変などの活動により人類は0-0.8℃程度大気を冷却させ、太陽放射の変化や火山噴火などの気候の内部変動をも考慮すれば、1850-1900年に比べて2010-2019年には約1.07℃の人為的な温暖化がもたらされた可能性が高い、と結論付けた。

この「結論付け」に至る過程で、主要な温室効果ガスである二酸化炭素の2019年時点での濃度は過去200万年で最も高いと想定されること、12万5千年前の間氷期には現在よりも海水面が5-10m高かった可能性が大であり、その際の気温は1850-1900年に比べて0.5-1.5℃高かった可能性が極めて高いこと、更に300万年前には現在よりも海水面が5-25m高かった可能性とその際の気温が2.5-4℃高かった可能性が言及されている。

地球をとり巻く壮大な気候変動史の中では、人類の活動が気象的現象にもたらす影響など微々たるものであろう。とはいえ、人類の活動が自らの生命に与えるリスクを高めている事実が明らかである以上、そのリスクを最小化するための努力を払うことは当然のことである。その点は既に所与の話である。問題はその時間軸である。率直に言って、昨今の異常気象、台風・大雨・洪水・土砂崩れといった国土への被害を少しでも減ずる緊要性は理解するものの、即効性のある手立てはない。仮に先進国が吐き出す炭素量を相応のペースで減らしたところで直ちに効果が出る訳ではない。新興国や発展途上国がしばらくは排出量を増加させる現実下にあっては、焼け石に水に近い。むしろ人工的な知恵による国土強靭化を急ぐ方が先決である。いわゆるadaptationである。脱カーボンは、より長期の視点、すなわち世紀を超えて未来に亘って人類が持続的進歩を遂げていくために必要であるが、当面の経済活動を極端に委縮させることは現実的ではない。

気候変動人類は炭素パワーで文明を切り開き、進化させてきた。発展途上国が、SDGsの理念にのっとり、教育、医療、雇用、成長、社会の安定を十分に享受していくためには、まだまだ化石エネルギーを必要とする。SDGsの大きな価値観の中で、ただただ一直線に石炭の利用を止め、次に石油の利用を止め、遂にはガスの利用も止める。全ての炭素パワーを排除しながら、人類の文明を進化させる。それは不可能である。

2050年カーボニュートラル。この目標に向けて、世界中が納得し、かつ、国民が息切れしないような道筋を作る。その道筋づくりでさえ、10年はかかるであろう。それまでは試行錯誤である。性急な目標は、むしろ道のりを遠くする。

2. 虚構の▲46

9月3日、ようやくエネルギー基本計画の原案が提示された。国家を考え、国民生活や経済社会の発展に必要なエネルギーの安定供給を使命に持つ政策担当者たちは本当に苦労したと思う。出来もしない計画を提案させられることほど辛いことはない。国民に対する責任が果たせないからである。勿論、大きな針路を示すのは政治家のリーダーシップである。示された方向性に向かって、いかに巧みに工程を作っていくかは政策担当者たちの仕事である。しかし、泥濘のあぜ道を時速100キロで飛ばせと恫喝された分には、いかに運転の名手でも乗車拒否しか選択肢はない。

今回のエネルギー基本計画に対する世の中の論調は手厳しい。

 「数字合わせで終わらせるな」(読売新聞)

 「温室ガス目標が先行 逆算で策定」(朝日新聞)

 「安定供給果たせるのか」(産経新聞)

 「エネ計画 険しい実現性」(日本経済新聞)

違う角度からの批判であるが、行き着くところは「批判」である。散々脱炭素を急かしながら、いざ脱炭素目標に沿った道筋が現実に提示されると、途端に「本当にできるのか」との論調である。確かにこれらの論調は的を得ている。ただし各論となると、各紙ともそれぞれ特定の電源に贔屓があるようで、政治的建前が先行し、そして殊の外、日本の隘路のみを自虐的に強調したがる傾向にある。そして兎角、それを当局の政策の失敗に持っていきたがる。それでも政策担当者たちは不屈の闘志で議論する。冷厳な視点で国家百年を想うからだ。報道内容はお気軽だ。一部の洞察深い論説を除き、エネルギーに関するベースの知識と国際政治経済全般の視野を欠き、国家百年を論じようとする意図すらない。脱カーボンに向けて最後は本質的なネックとなる国民のコスト負担に対する覚悟を求める論調もない。ひたすら政府や事業者をdiscourageする。かようなmake-believeで世論誘導を試みる言論界の風潮の下では、国家百年のエネルギー戦略について、とても腰を据えた議論は出来ない。

何度でも申し上げるが、脱炭素社会を本気で目指すのであれば、継続性のある「賢い政府」の存在が不可欠である。「環境と経済の好循環」に向けて、国と地方と民間企業が連携し、「エネルギー」というものを皆で勉強し、価値観を統合し、そして官民の人材がリボルビングドアを通じて出入りできる専門集団が必要である。

エネルギー基本計画とは、安全保障(安定性)・コスト・環境の全てがバランスされたエネルギーポートフォリオと、そこに向かうプロセス、社会実装の時系列的な可視化を図るところに意味がある。しかも、兎角ピンポイントでフォーカスされがちな電源構成などはほんのその一部に過ぎず、産業、運輸、業務、家庭、それぞれの需要サイドにおける脱炭素投資がどのようなペースで進捗するかを可視化するところにこそ意味がある。再生可能エネルギーが3638%では少なすぎるとか原子力20%は多すぎるとか、あるいは削除しろとか、現実はそんな見てくれ重視の生易しい議論ではない。ピーク時にも不足することなく、停電を起こすことなく、緻密に周波数を調整し、かつ、産業が日本から逃避しないような低廉での供給をどのようなバランスで作っていくのか、あらゆる電源と熱源の総力戦なのである。

今回の数値目標はあくまで仮置き。それはそれで割り切るしかない。目標達成への時間軸は次の機会に見直しが可能である。だが、より気になるのは、2050年目標へと向かうプロセスが明確性を欠くことである。余計な短期目標(▲46%)を掲げたが故に、むしろ、2050年カーボンニュートラルまでのプロセスを逆に曖昧にせざるを得なくなったのが、今次エネルギー基本計画の最大の問題点である。詰まるところ、「あらゆる選択肢を追求する」としか言っていない。裏を返せば、今のような政治情勢を考えれば、この言葉で十分なのかもしれない。

3. 2050年目標と2030年目標の関係

エネルギー基本計画原案は、2050年目標(実質ゼロ)と2030年目標(▲46%)との関係をどのように整理したのであろうか。

2030年に向けて今後取り組むエネルギー分野における様々な施策や技術開発は、全て2050年カーボンニュートラルに連なるものとなる。 2030年に向けては、既存の技術を最大限活用し、この野心的な削減目標の実現を目指し、その上で、2050年カーボンニュートラルに向けては、2030年の目標に向けた取り組みを更に拡大・深化させエネルギーの脱炭素化を進めつつ、現時点では社会実装されていない脱炭素技術について、これを開発・普及させていくこととなる。」(?)

「一方で、2050年を見据えた様々な技術開発・イノベーションの成否を現時点で正確に予測することは困難であり、2050年に向けては、カーボンニュートラルという野心的な目標を掲げつつ、常に最新の情報に基づき施策、技術開発の重点を決めていくことが求められる。」(??)

2050年カーボンニュートラルを目指し、様々な可能性を排除せずに脱炭素化のための施策を展開し、イノベーション実現に向けた技術開発に取り組む中にあっても、常に安全の確保を大前提としつつ、安定的で安価なエネルギー供給を目指すことは当然の前提である。S3Eを大前提に、2030年の新たな削減目標や2050年のカーボンニュートラルという野心的な目標の実現を目指し、あらゆる可能性を排除せず、使える技術は全て使うとの発想に立つことが今後のエネルギー政策の基本戦略となる。」(???)

何を言っているのかさっぱりわからない。

要すれば、以下のように解釈される。

  • 2050年に使える技術を今予測することは困難なので、とにかく可能性のあるものは、再生可能エネルギーであれ、原子力であれ、水素であれ、CCUSであれ、今からすべてを追求する。
  • しかし、2030年時点では多くの技術がまだ未確立であり、社会実装もまだ緒に着いたばかりだろう。したがって、2030年までのカーボン削減は、現存技術の活用に依る他はない。
  • 2030年時点で花開く技術、コスト削減の状況を見極めながら、2050年に向かって進んでいくことになる。それ以上のことを今は言えない。

2030年での温室効果ガス46%削減達成は、既存技術の延長では到底出来るものではなく、無理矢理に達成しようとすれば、生産量を落とし、経済成長を落とす以外に道はないのである。今回のエネルギー基本計画は、それを示唆している。

4. 「もっと原油を増産せよ」~ 米国によるOPEC批判

去る8月11日、米国ホワイトハウスから以下の声明が発出された。

Higher gasoline costs, if left unchecked, risk harming the ongoing global recovery. The price of crude oil has been higher than it was at the end of 2019, before the onset of the pandemic.
While OPEC+ recently agreed to production increases, these increases will not fully offset previous production cuts that OPEC+ imposed during the pandemic until well into 2022. At a critical moment in the global recovery, this is simply not enough.
President Biden has made clear that he wants Americans to have access to affordable and reliable energy, including at the pump. Although we are not a party to OPEC, the United States will always speak to international partners regarding issues of significance that affect our national economic and security affairs, in public and private. We are engaging with relevant OPEC+ members on the importance of competitive markets in setting prices. Competitive energy markets will ensure reliable and stable energy supplies, and OPEC+ must do more to support the recovery.

要すれば、原油価格が新型コロナによるパンデミック発生前の2019年末より高くなっており、世界的な経済回復のためには産油量は十分はないとしてサウジアラビアやロシアを含む主要産油国を非難。米国内のガソリン価格の上昇で世界的な景気回復に悪影響を与えるリスクに晒されるとの懸念を理由に、OPEC加盟国及びロシアなどの非加盟国で構成する「OPECプラス」に増産圧力をかけたのである。

おいおいちょっと待て、と言いたくなる。米国は自国のシェールオイル、シェールガスの生産を抑制する方針を公言している。脱炭素政策を安全保障政策と位置づけ、自ら化石燃料の生産・消費の削減によるグリーン成長を基本戦略としている。中東諸国やロシアに原油増産を迫っておきながら、冬に開催される気候変動会議では産油国に対し、「もっと炭素排出量を減らせ」と迫るおつもりか?日本にも石炭利用の停止をはじめとする化石燃料の消費削減を迫ってきている。日本政府は、ごく一部の知性高き官僚によって合理的反論が行われているところではあるが、ややもすれば現実のエネルギー事情を冷徹に分析することを怠る勢力によって、戦略なき迎合に陥るという危機的状況にある。

事程左様にエネルギー政策というのは複雑である。エネルギー政策は世紀を見通した国家の基本戦略である。2050年までにカーボンニュートラル社会を目指すというのは、短期、あるいは中長期の化石燃料資源の確保と安定供給によって市民の生活を守りながら達成していくという、本当に厳しい道のりなのである。

5. 日本の製造業よ、永遠なれ

前稿において、2050年のエネルギー需給の独自試算を示した。見にくかったので、図をより大きくして再掲する。

図1.png


2050年において日本は、順調に持続的な経済成長を続け、製造業が海外逃避することなく競争力を保ち続けると仮定するならば、17000kwhの電力と2000万トンの水素を必要とする。そして、電力の4割を、水素の5割強を、製造業が消費することになる。製造業への低廉で安定的なエネルギー供給が困難となれば、日本の経済、雇用、ひいては社会保障はガタガタになる。

OECD諸国や主要経済国の中で、GDPに占める製造業比率が高いのは、中国(28%)、日本(21%)、ドイツ(20%)である。世界三大製造業立国である。その競争力の源泉となるのが、エネルギーの低廉安定供給である。これからもこの三カ国は、ものづくりにおいて熾烈な競争を展開していくであろう。

 

     【主要国におけるGDPと製造業比率(2018年)】

図2.png


日本は、高度成長期における重厚長大産業振興の時代から、内需型産業の振興、電子化・IT化による産業構造転換を進めながらも、GDPにおける製造業比率は一貫して20%前後を維持している。情報通信、金融、観光、医療・介護など、将来の成長産業の伸長が期待されるとしても、ものづくりの競争基盤が失われることとなれば、日本の衰退は疑う余地がないであろう。「製造業2割原則」は、将来に亘り、維持されなければならない。その製造業に供給する電力は、太陽光や風力など再生可能エネルギーだけでは無理である。どうしても、原子力及び火力の力が必要である。

図3.png

 

自動車など輸送機械産業とそれを支える鉄鋼や金属系産業。これらの産業群を日本から消滅させるわけにはいかない。そして、これら産業の競争力を支える金属熱処理業。自動車業界などから部品などを預かり、電気炉やガス炉を使って付加価値を付け、顧客に返す。こうした産業では、年間1%の省エネすら難しいであろう。

20-30年に一度の設備更新に踏み切れなければ廃業の危機となる。こうした方々に、2050年カーボンフリー社会に向けて、政府はどのような羅針盤を提示するのか。

電力供給全般のカーボンフリーが漸次進捗するまでの間、仮に投資するのならガス炉転換しかないであろう。政府はそこに補助金を出すべきである。すなわち、当面は、ガスへのシフトが避けられず、水素へのシフトはその先の20年後である。だが、今次のエネルギー基本計画では、こうした各論が全くわからない。2030年の46%削減目標は、こうした産業に恐怖を与えるだけで、むしろ害悪である。

製造業用の電力には、安全な原子力エネルギーが必ず必要である。太陽や風では賄いきれない。とても安定性とコストに耐えきれない。ドイツは、どんなに再生可能エネルギーへのシフトを加速させようと、フランスの原子力とポーランドの火力を輸入すれば安泰である。こうした中、中国やドイツ(EU)との新たな次元のものづくり競争が待ち構えている。

日本の製造業よ、永遠なれ。