メディア掲載  グローバルエコノミー  2021.07.21

農地法に挽歌を(3)

『週刊農林』第2452号(7月5日)掲載

構造改革のとん挫

1952年農政官僚の反対を押し切り、小作人に所有権を与えた農地改革の成果を維持しようとする狙いで農地法が制定された。GHQは保守化した農村を共産主義からの防波堤にしようしたのである。これによって零細農業構造が固定し、柳田國男の農政思想を受け継ぐ農政官僚の“農地改革から農業改革へ”という望みはくじかれた。

農業改革、農業の零細構造の改善を行おうとしたのが1961年の農業基本法である。その中核概念が、農業だけで他産業と均衡した所得を得る“自立経営農家”だった。零細構造の改善とは、農家戸数の減少による一戸当たりの農場規模の拡大である。これは、戦前の地主階級と同様、多数の小農がいたほうが望ましいと考えるJA農協に拒否された。自立経営農家に対して、農協は選別主義だと主張し地域の農家丸抱えの営農団地という考えを出して対抗した。

ところが、1964年赤城宗徳農林大臣が「自立経営農家をできるだけ多く創ることが農政の基本である。経営規模の拡大のためには農地制度についても手をふれるべきときがきた。」と表明したため、農林省は活気付き、自立経営農家育成に向けての構造政策の立案が検討された。省内の二つの局が互いに法案を作り競い合うほどだった。農地法を墨守する今の農水省の人たちと異なり、この時までは、農政官僚の中に農業改革への夢が残っていたのである。

これは、自立経営農家育成のため事業団が農地の売買や賃貸借を行うという農地管理事業団法案として国会に提出された。今の農地中間管理機構と同じ考えである。農業基本法後“自立経営農家”という言葉が規定された最初の法案であった。しかし、与党は消極的、野党の社会党は貧農切り捨てと猛烈に反対し、農協も傍観的な態度をとり続けたため、二度にわたり、国会で廃案となった。これで農地制度の改革は頓挫した。

他方、実体的にも、売買による農業の規模拡大は困難となった。高度成長で土地価格が上昇する中で、農地から多用途への転用期待が高まった。農地法の転用規制、1969年制定の農業振興地域の整備に関する法律(農振法)のゾーニングも厳格に運用されなかった。このため、農地価格は宅地価格と連動し、農業の収益還元価格をはるかに上回って、高騰した。



耕作者主義への変更とその崩壊

以降農政は売買ではなく賃貸借による規模拡大を目指すこととなった。買うことが難しくても、借りれば規模拡大して大きな農業を営める。しかし、自作農主義は借地農(小作農)を否定する。農地法は賃借権の解約制限等によって小作権を強化した結果、農地を返してもらえなくなることを恐れて地主は貸さなくなっていた。

借地による規模拡大を推進するため、自作農主義は修正され、耕作者が所有権でなくても借地権を持てばよいという“耕作者主義”が唱えられた。小作地の所有制限や賃貸借規制等の緩和、小作料統制の廃止、農地保有合理化法人制度の創設等を内容とする農地法の改正が1970年に成立した。さらに、地主が農地を返してもらえないのではないかという懸念を持たないよう、農地法の法定更新の適用を受けず、合意された期間の満了により自動的に終了する賃借権を多数の農業者間に集団的に設定する農用地利用増進事業が、1975年の農振法の改正(1993年から“農業経営基盤強化促進法”)によって成立した。

2000年には現“農地所有適格法人”の一形態として株式会社が認められ、2015年には農業関係者以外の者の株式保有を25%未満から50%未満に引き上げる等要件が緩和された。2009年には条件を付して一般法人による農地の賃借も認められた。これによって自然人を念頭に置いた自作農主義や耕作者主義は崩壊した。今一般法人による農地所有を否定する理論的根拠はない。



農業の新規参入を抑える農地法

2016年、中山間地域では農業の担い手を企業にまで広げないと農地は耕作放棄されてしまうと、切羽詰まった兵庫県養父市長は、国家戦略特区制度を利用して一般の株式会社でも農地が取得できるようにした。これを広く全国に認めるかを巡り、2020年12月の国家戦略特区諮問会議で、民間議員らと農水省が対立し、21年度中にニーズと問題を全国で調査して調整・検討することとなった。

これとは離れて、一般法人による農地所有を議論しよう。

農業に参入しようとすると、土地や機械など大きな投資が必要である。また、規模を拡大し売り上げが伸びると、売掛金などが増え、運転資金を調達しなければならなくなる。友人や親戚など100人から1人10万円ずつ出資してもらうと、1,000万円の資金を調達できる。しかし、農業と関係のない友人や親戚などから半分以上出資してもらい、農地所有も可能な株式会社を作って農業に参入することは、農地法上認められない。

このため、新規参入者は銀行などから借り入れるしかないので、失敗すれば借金が残る。就農して5年ほどは十分な収益は上げられないのが実態だろう、自然に生産が左右されるというリスクが農業にはある上、農地法によって、農業は資金調達の面でも参入リスクが高い産業となっている。

株式会社なら失敗しても出資金がなくなるだけである。「所有と経営の分離」により、事業リスクを株式の発行によって分散できるのが株式会社のメリットだ。後継者不足と言いながら、農政はベンチャー株式会社によって意欲のある農業者が参入する道を絶っている。結局、農家の後継者しか農業の後継者になれない。農家の後継ぎが農業に関心を持たなければ、農業の後継者も途絶えてしまう。これに対し、デンマークの新規就農者の6割が非農家出身である。新規参入がなければ農家は高齢化する。その原因を作っているのが農地法である。

株式会社に所有権を認めないのは、その利益追求的な性格から、農地を農業用として継続的に利用することの保証が得られないからだ、あるいは農地をいずれ転用するからだ、などと説明される。しかし、農家には利益追求的な性格がないのか、農家が転用期待で農地を耕作放棄するのは農業的利用なのか、相続で大都市に居住している元農家の子供に農地の所有権をなぜ認めるのかという反論に、農政当局はどう答えるのか。1960年以降、現在の全水田面積や農地改革で小作人に開放した面積を上回る260 万ha の農地を潰したのは農家であって株式会社ではない。

養父市に特区を認める際、企業が農地を荒廃させたとき自治体が買い戻すという条件を付けた。企業であれ農家であれ、農地を荒廃すべきではない。農家所有を含め、全国の荒廃農地全てを国が収益還元価格で買収し、中間管理機構を通じて主業農家や法人に売却・貸与してはどうだろうか?第3次農政改革である。



農地の公的管理論

柳田國男は、土地の所有権を決めるのは、自然法や正義などではなく“国の法律制度”だという。所有権などの利用権を持たない人物が家屋に浸入したり居住したりする場合、最終的には司法権に頼って解決するしかない。所有権や利用権を実効有らしめるよう担保しているのは、国家権力、具体的にはその法律制度である。私権の行使が国家権力に裏付けられた法律によって担保されているからこそ、近代法は自らの力で不法占有者を排除する “自力救済”を禁じることができた。

さらに議論を発展させると、土地にどのような権利を認めれば、最も公共性を達成できるかを決定するのも、まさに国の法律制度である。所有権を担保し根拠づけているのが国の法律制度だとすれば、国がその時々の状況によって所有権(私有制度)に変更を加えることは可能である。柳田は、国が私有財産制度を否定すること(土地の公有制)も無謀な議論ではないと言う。

ドイツの都市計画はしばしば「計画なくして建設なし」と評される。ベルギーからパリに列車で向かうと小麦畑の中から突然パリ市が現れる。ヨーロッパでは土地の都市的利用と農業的利用の区別が明確である。外部性の高い土地は強い公共の福祉・規制に従うべきである。都市計画法、農振法などさまざまな土地利用規制を整理し、国土統一的な土地利用規制、ゾーニングを確立すべきである。

ヨーロッパでは、ゾーニングの下で、他産業の成長が農村地域からの人口流出をもたらしたので、自動的に一戸当たりの農地面積は増加した。ヨーロッパには農地法はないが、日本以上に農地を守っている。農地資源を確保するためにも、ゾーニングを徹底すべきだ。農地転用を考えて農地を貸し渋るという行為もなくなる。そのうえで、企業形態の参入を禁止し、農業後継者の出現を妨げている農地法は、廃止すべきである。農地を適切に利用するのであれば、法人であれ自然人であれ、法人格の違いは重要ではない。これが、シンプルな農地制度改革である。

なお、零細な農家が滞留しないようにするためには、減反というもう一つのアンシャン・レジームも打破しなければならない。