メディア掲載  外交・安全保障  2020.10.27

軽視できぬ陸上国境の悲劇

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2020年10月15日)に掲載

国際政治・外交

巷では日本学術会議問題や新型コロナウイルスに感染した米大統領の活動再開が炎上しているようだが、過去数カ月間ユーラシア大陸内で、日本では目立たないが非常に気になる事件が続いている。

例えば、キルギス。議会選挙結果をめぐり混乱が続く同国では、現職大統領の辞意表明にもかかわらず抗議活動は収まらず、最近首都では非常事態が宣言されたそうだ。

次はナゴルノカラバフ、ここがどこだか分かる人は相当の国際通だ。アルメニアとアゼルバイジャンの係争地である同地域ではロシアの仲介で漸く合意された停戦発効後、早くも攻撃が再開された。

最後が中印国境紛争だ。5月初旬からパキスタンに近い両国国境の要衝で兵士による小競り合いが散発、6月中旬の衝突ではインド軍兵士が20人死亡した。国境地帯で死者が出たのは45年ぶりだ。

これら3つの共通点は、いずれも海のない、内陸の、陸上国境だけの地域で起きた事件だ。だからだろうか、日本ではあまり注目されない。陸上国境のない日本では問題の重大さがピンとこないのだろう。おっとどっこい。これらはいずれも一つ間違えば、ユーラシア大陸を揺るがす大事件に発展しかねない大ニュース。今回は筆者がそう考える理由を記そう。

キルギスは中央アジアの小国で、中国、カザフスタン、タジキスタンなどに囲まれた陸の孤島。だが、同国の不安定は中央アジアのみならずユーラシア全体の均衡に影響を及ぼす。

ナゴルノカラバフも同様だ。アゼルバイジャンの西部にある同地域の人口は約14万人。9割以上がアルメニア系で、1991年の独立宣言後内戦が一層激化した。94年に停戦が成立、問題「棚上げ」になるかと思ったが、最近紛争が再発した。親アルメニアのロシア、親アゼルバイジャンのトルコ、南のイランという地域大国が絡む紛争から目が離せない。

最後は中印国境での両軍の衝突だ。中国はインドとの国境画定に前向きだがインドの態度は硬い。1962年に中印間で国境紛争が勃発、国境交渉は長期停滞した。その後、ソ連崩壊で関係改善が進み、93年には両国間で国境問題を「棚上げ」する協定ができたが、最近国境での小競り合いが再発している。核兵器を持つ中印両国の対立だけに軽視できない事態だ。

大陸内の陸上国境には多くの悲劇の歴史がある。複数の大国に挟まれた地域は「緩衝地帯」となるか、紛争自体を「棚上げ」する以外に独立して生き残る道はない。今回紹介した3つの事例は、近年そのような「緩衝地帯」や「棚上げ論」の維持が難しくなっている現実を示している。

地政学の大家マッキンダーは「東欧を制する者はハートランド(ロシアなど中軸地帯)を制し、ハートランドを制する者は世界島(ユーラシア大陸など)を制し、世界島を制する者は世界を制する」と述べたが、スパイクマンは「リムランド(沿岸地帯)を制する者はユーラシアを制し、ユーラシアを制する者は世界の運命を制する」と主張した。

強大な資源大国に見えるハートランドも実はウラル以東に資源がなく、農業にも適さない。むしろ、気候が温暖なリムランドの方が重要だというのだ。確かに中国とインド、ロシアと中国、ロシアとトルコ・イランの関係はハートランドとリムランドの関係に似ている。この点、日本は「シーパワー」であっても、大陸内の「リムランド」ではない。どうやら、国際政治の焦点は必ずしも東シナ海、南シナ海、インド太平洋だけではなさそうである。