コラム  国際交流  2019.07.01

「東京=ケンブリッジ・ガゼット:グローバル戦略編」第123号(2019年7月)

小誌は大量の資料を網羅的かつ詳細に報告するものではない-筆者が接した情報や文献を①マクロ経済、②資源・エネルギー、環境、③外交・安全保障の分野に関し整理したものである。紙面や時間の制約に加えて筆者の限られた能力という問題は有るが、小誌が少しでも役立つことを心から願っている。

 5月30日、イタリアの祝日(Festa della Repubblica)に合わせた駐日伊国大使館でのgarden partyに出席させて頂いた。そして素晴らしい日本庭園の中で、内外の友人達とワイングラス片手に談笑する機会を得た。

 友人達との話の中心は当然のことながら欧州政治経済だった--緊張が高まる米中関係の中で、①欧州の将来、また② a muddled Brexit や a virulent nationalism の影響、更には③イタリアから見た中国による"一帯一路(Una cintura, una strada)"等。
 印象的であったのは移民・難民問題で、或る英国の友人が語った言葉は意味深長だ--「ジュンなら、(英国への大量移民を批判した1968年の)"Rivers of Blood" speech を知っているだろ? そして現在、フランスやイタリアには"政教分離を否定するような(theocratic)"人々が押し寄せて来ている。ジュン、もしも、日本の古都、京都にモスクが林立しだすと日本はどう反応する?」、と。


 6月初旬に開催されたShangri-La Dialogue から中継されてきた映像--特にパトリック・シャナハン米国国防長官代行や魏鳳和中国国防部長のスピーチ--を観つつ、①安全保障分野における相互不信の危険性、更には②その相互不信を増幅させる元凶の一つ--"不透明さ・曖昧さ"--の危険性を改めて悟った。この"曖昧さ"を回避し信頼関係を回復・強化するためには、自制心を要する信用醸成措置(confidence building measures (CBMs))が極めて重要だ。

 ごく一部の専門家の間でしか知られていないが、自衛隊(SDF)の元将官が人民解放軍(PLA)との間で長年実施しているCBM--「中国政経懇談会(中政懇)」--がある。これは中国側の鄧小平、徐向前、王震、廖承志等との合意に基づき1977年に始まり、日程調整が出来なかった1998年を除いて、尖閣問題の生じた2012年や翌年の中国海軍レーダー照射事件の際も意見交換を実施している(実は、対話は危機の時こそ重要なのだ!; この「中政懇」の訪中活動は4ページの年表を参照)。
 CBMsに関連し、今年3月にスウェーデンの防衛研究所(Totalförsvarets forskningsinstitut (FOI); Swedish Defence Research Agency)から発表された報告書("OSCE and Military Confidence-Building in Conflicts: Lessons from Georgia and Ukraine")を思い出している。ロシアとのCBMsに努める欧州、中国とのCBMsに努める日本。共に中露両国とのCBMsが洗練される事を願っている。


 6月12日の早朝、ハーバード大学のマーティン・フェルドシュタイン教授の訃報が届いた。教授は筆者が滞在した同学行政学院(HKS)の様々な会合にも参加されて、筆者も啓発を受けただけに心が痛んでいる。

 研究者・教育者・有識者としての教授から我々は様々な知的刺激を受けていた。即ち①研究者として、基礎文献及び最新の研究論文に関する理解が不可欠な会合での示唆的な発言、②教育者として、経済学部の学生に比べ経済学関連の研究論文に疎いHKSの学生達に対する"解り易い"説明、③有識者として、学際的会合において彼が語る経済学的見地からの啓蒙的見解はまことに見事で「流石は大統領経済諮問委員会(CEA)元委員長」と感心していた。また日本の知人がHKSを訪れた際に筆者が開催した会合に対しても、教授はお忙しいなかお時間を割いて下さった。この事を今でも心から感謝している。


 6月28日、小誌2月号でも触れたが国際関係の分水嶺、ヴェルサイユ条約調印から丁度100年を迎えた。

 優れた米国の評論家(Walter Lippman)は、「欧米の指導者達は現代史における重要な節目に立っていた(Lloyd George, Clemenceau, Wilson and Orlando were at a critical juncture of modern history)」と述べ、英国の外交官(Harold Nicolson)は、この会議の失敗を示唆して、"公開外交(open diplomacy)"の主唱者、ウィルソン大統領が英仏伊の3ヵ国と共に主導した会議は、「史上稀に見る秘密的、実際、神秘的な外交交渉(few negotiations in history have been so secret, or indeed so occult)」であると評した。
 この会議では各国代表によるa "war of words"が繰り広げられたが、クレマンソー仏国首相は若い中国の外交官顧維鈞の能弁を称え、「溢れんばかりの彼の雄弁は(日本全権の一人)松井慶四郎男爵を悩ませた(Son eloquence intarissable impatientait fort le baron Matsui)」と語った。またウィルソン大統領も「(英国の政治家で詩人)マコーリーが書いた流麗な英語を話す(spoke English in the way Macaulay wrote it)」と顧維鈞を絶賛した。日本はこの会議であたかも"名を捨てて実を取る形(valuing substance over appearance)"で、"人種問題"で譲り"山東・南洋の権益"を得た。だが"silent partner"と揶揄されたように、交渉術の稚拙さ故に、中国だけでなく欧米までも敵に回してしまった。この苦い教訓を基に日本の優れた若き外交官、斎藤博大使は英語に磨きをかけ、また朝海浩一郎大使は、この会議後に創設された在外研究員制度に沿って英国で3年間過ごすことになる。



全文を読む

「東京=ケンブリッジ・ガゼット:グローバル戦略編」第123号(2019年7月)